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旅は日常にも宿る

自由に行きたいところへふらりといける、ひとり旅が好だ。
旅の魅力は数あれど、私にとってひとり旅の醍醐味は、
「ちょっとユニークな人との出会い」
出会いは、旅の思い出を鮮やかに彩る。



コロナ禍で旅の楽しみが奪われた哀しみの2年。ひとり旅どころか、外出さえ躊躇う世情でも、「旅のような一期一会」は日常でも宿ると思える出会いがあった。
ある日、コーヒー豆を切らしたのでいつもの店まで歩いていると、
「ちょっと、ここの建物の入り口わかる?」
突然、後から声をかけられた。
本当に私に話しかけているのか、振り返って違う人に話しかけていたなんてダメージは避けたい。慎重に周囲に私しかいないことを確認して振り返る。

グレー混じりの髪を、肩で切り揃えた直線的なボブヘアー、太く赤い縁取りの眼鏡、赤、黒のコントラストが鮮やかなコートとセーター、深緑のマキシ丈スカート。
一見してアーティスト風情の女性が居た。
そう、それは居たという表現の似合う立ち方で迫力があった。
さきほど投げてきた質問の答えを待たずに近寄ってきた彼女は、当然のように私を従えて歩き始めた。彼女の話は常に一方的で独りごとのようだが、話の節目には私の顔を見てくるから、彼女が私に話しかけている事がわかった。

彼女は何かに怒っていた。「枝が道路にはみ出し過ぎだ」「花の手入れが違う」「狭い道に車なんか通るな」怒っているけど、私に向ける表情は微笑んでいる。微笑みながら、他人の家の庭先を、歩く方が早そうな速度で後ろを着いてくる車を見ては怒る。
怒っている人は困っている人だと聞いたことがある。彼女もそうなのだろうか。
ひとり語りのような話を繋いでいくと、丹精込めて作った庭をすべて崩しコンクリートにしたたらしい。独り暮らしの庭仕事は手に追えなくなったそうだ。


結局、そのまま30分ほど歩いた。とはいえ、彼女は右にしか曲がらないから、同じブロックをぐるぐると回っていただけだったが。
ひとしきり満足したのか彼女は「じゃあ」と踵を返して来た道を戻っていった。

春の嵐のような彼女と別れたあと、胸の奥に懐かしい感覚が残った。

コーヒー豆屋の店主からオススメの豆の話を聞きながら、
ああ、彼女とのそれは「また会いたいけなと思うくらいがちょうどよい旅先での出会い」に似ているのだと思った。

もしも、もっと早く出会えたら庭仕事手伝えたかな。いや、ぶっきらぼうな彼女の態度に嫌気がさして逃げ出しただろうな。
また会えるかな。

旅は日常にも宿る。








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