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ブルーオーシャンに漕ぎ出る、小さな変わった舟でありたい

最近、精神科医・医療人類学者の宮地先生の「傷を愛せるか」という本を日本から取り寄せて読んだ。密かに尊敬している方がFBで大切な本だと紹介されてたのを見て、ピンときて速攻注文したものだ。

実は、宮地先生は私の修士論文(日本)の審査の副査でもあった。「博士行けばいいのに」と言って、修論を高く評価して下さったのが心底嬉しかったのを思い出す。

宮地先生は、DVや性暴力の被害者を数多く診ている。 私の尊敬する方も、DV被害者のフィリピン人移民や、いろんな傷ついている人を数多くサポートしてきた支援職の人であり、
私も今、自分がレイプ等集団的暴力を受けた難民の人々といることや、今後そういう傷ついている人とどう過ごすのかの、何かヒントになるんじゃないだろうかと思ったのだ。

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宮地先生の人生の断片とそこに交差する人々やその記憶が、23ものエッセーで綴られていく。
アメリカで、バリで、アルゼンチンで、沖縄で、はたまた漫画や映画の中で、誰かや何かに出会って、先生が傷ついた人たちとの関わりに小さなインスピレーションのようなものを得ていく様が紡がれていく。

「だれかが自分のために祈ってくれるということ」「予言・約束・夢」でこんなことが書かれている。

バリの寺院で若いガイドの男性が、先生を丁寧に祈祷してくれた場面で、

”だれかが自分のために祈ってくれるということがどれほど心を動かすものなのかを、わたしはそのとき初めて知った”

”私はトラウマを負った被害者の回復支援にかかわりながら、ときどきあのバリでの不思議な昼下がりを思い出す。そうしてあのときの祈りが、今度はわたしから目の前の被害者に伝わることを願う”

”「あなたはいつかきっと幸せになれると思うよ」といった言葉を、あえて口にすることがふえてきた。
最終的にその予言が当たり、約束が果たされるという保証はない。けれどもいま、真剣にそう思うから、そう願うから、そう信じるから、言葉にして共有しあう。
そうやって、淵の手前にガードレースがあるということ、あなたが淵から転落してしまわないように社会は安全策を築いてきたのだということ、あなたが溺れそうになったら命綱を投げて助けようとする人はいるのだということを、思い出してもらうのだ”


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共感といったらおこがましいけれど、私の感じていることや感性に近くて、そして示唆をたくさん与えてくれるこの本は宝物になった。

なかでも、「ブルーオーシャンと寒村の海」で先生が、 ”わたしの幸運は、ただひたすら主流から離れ、マイナーな分野を選び、マージナルな方向へマージナルな方向へと研究を進めていったことからきているのかもしれない”  ”わたし自身は、海の美しさを寒村で静かに味わえていたらいいかな、と思う。でもちょっと寂しくなるときもあるので、ときどき訪れ人があるとうれしいかもしれない”

と書いていて、先生の”異端なところ”を嗅ぎとって、嬉しくなった。

私も、競争の激しい既存のマーケット(レッドシー)でなく、ブルーオーシャンにいつつも、ユニークな形の小さな舟(異端児)として、青い広い海にうねりを起こす存在になりたい。

イギリスや日本でいろんなかっこよさげなNGOを見るけど、私が惹かれるのはいつも、小さくて地に足がついてて、新自由主義が蔓延する中で団体のサステイナビリティを保ちつつも、魂(ミッション)を曲げることのない、その絶妙なバランスを保っているような団体だ。新自由主義的なものにある程度乗らないといけないことは承知しつつ、そこにのまれないように注意深く、ユニークな試みを続けているところ。
草の根からある種レボリューションを起こそうとしているところ。

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みんながかっこいいと思うことを志向しなくてもいいじゃないか。

安心してマージナルな方向へ。


いつか宮地先生に会いにいきたいと思った。

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