見出し画像

1つ、手放せたかもしれない #3

「誰か/何かにひっかかる時は、自分を見つめるチャンスだよ。もし何もなかったら気にもならないはず。そこには、何か自分の気づきとなるものがあるはず」と、ふと言われた言葉。私は、この夏、「駐妻」(駐在妻)という言葉にひっかかりまくっていた。

*****

1つのきっかけは、ある中国に駐在していた家族が、コロナにより中国の家をそのままに東京での仮住まい生活をせざるを得ない状況に追い込まれ、「中国に帰りたい、この訴えを世間に聞いてほしい」と朝日新聞に取り上げてもらい、その話が掲載された紙面がFacebookでシェアされていたのをたまたま目にしたことだった。よく読むと同じ特集の中に、コロナで失業し大事にしていたサボテンをも現金化したけれど前向きに頑張ろうとしていた人のことが横に書かれていた。

「海外駐在員・駐在妻はコロナでこんなに困っているんです!!」と大声を上げる駐妻の気がマジでしれないし(だって、家も会社が払っているし、仕事もある)、ましてやコロナで失業している人の記事が隣にあって、私だったら穴があったら入りたいほど恥を感じるのにと思ったら、いろんな「駐妻」が、「国ごとに色々事情は違って大変ですよね」とか言って労いあってシェアしあっているのに、びっくり仰天した。SDGsとか関わってて人権問題にも詳しいとされる駐妻も、「今こそ駐在妻は立ち上がるべきです。大使館等に声を届けないと!」とか言っている(いや、そもそも、個々の企業はとっくに大使館等と交渉してるよ)。困っているからって何でも声をあげればいいってものでない。上記の事象は、いろんな観点からツッコミどころ満載であるけど、私の一番のポイントは、それなりに状況は恵まれていて、教育も受けてきているはずなのに、自分のその恵まれたポジションを客観視できない人、その世界からでしか物事を見られない人は(なのにSDGsとか語っている人は特に)苦手だなってことだった。

あーあ、だから「駐妻です!」って自分をラベリングしたり、されたりするの、本当に嫌なんだよーと、コロナでなかなか帰国できず完全にイギリスに幽閉されているように感じて、気持ちが淀みがちだった私は思った。

そして夏の旅行中、今度は3日間、他社の男性駐在員sが家族旅行にジョインするという出来事があり、その中の一人が「1回目のイギリス駐在が決まった時に、イギリスでアフタヌーンティー三昧の駐妻生活ができるよってプロポーズした」って言ってたことにも驚き、ああ、”駐妻”ってワードに組み込まれる家父長制的価値観よ、と嘆いた。

それで、駐妻って言葉になんでここまで嫌悪感感じるのか?なんとなく風呂に入りながら考えた。このワードに織り込まれている、「社会階層」と「家父長制的価値観」がトリガーで、それは突き詰めれば、その二点が私の家庭環境に大いに関係するから反応するのだ。

社会的にも人間的にも他人の前に出したくない・出せないような父親を持った私にとって、公務員とかサラリーマンとか「お父さんがちゃんとした職業のおうち」は憧れだったし、ましてや「海外にいけるような大企業」っていうのはその最たるものだった。母は「あそこのお父さんは○○にお勤めだから」「学校の先生だから」とかってよく言ってたものだ。そして、自分が大企業サラリーマンになってよくわかったのだが、大企業ってのはすごく恵まれている。(大企業じゃなくても、サラリーマンだと毎月給料もちゃんと入る。給料ない月とか、借金とりくる月とかない)。だから、大企業で働いている人が家族にいるのに、大変だの何だの言っている人の気がしれない。そして、父親や周りに男尊女卑の考え方がなかったら、母親が離婚しても白い目で見られないような環境だったら、多分母親の人生は全然違ったものになったはずだ(離婚するのが遅すぎた)。

と、ここまでグルグル考えて、思った。私はある意味、逆ギフトをもらったのかもと。10代・20代の頃はあの両親でなかったら・・とずっと思っていた。でも、10代の暗い時代があったから、今の自分のポジションも客観視できるのだろう。もし、父親が脱サラしないで、外資系企業のエリートサラリーマンのままで、我が家も転落しなければ(彼は超ど貧乏出身のなり上がり系だった。一度も改心せず母を使い倒し、認知症になって、最近自己破産をした)、私は今頃すんごいエリートの嫌な女になっていたかもしれない(今でも、自分がいい人だとは思っていないけど)。

*****

当たり前だが、みんな同じ状況・環境で生まれたら世界は単純すぎる。金持ちもいて、貧乏もいて、いろんな国の人がいて、性別も色々で。たぶん、生まれたときに、舞台上の役を与えられるのだ、時代・人種・社会的階級・経済的状況・家庭環境・性別・宗教 etc... その与えられたカードでどうするのかはその人次第。そのカードを使ってどう魂を昇華させるのかのゲームが人生なんだろう。自分の環境というフィルターからでしか見られないレンズを、もっと広角にしていくのも、昇華の1つの作業だろう。

そう思うと、駐妻ってポジションをなんで客観的に見られないの!!ってその人自体に目鯨たてるのでなく、「まあわかんない場合もあるよね〜そうだよね〜」と、その事象そのものだけを客観的に捉える。それが正しい道だろう。それに、私はある種、逆のギフトをもらっているわけなんだから。

ということで、私は1つ、何かを手放した・・気がする。

*****

ちなみに、普通の人にはあまりない感覚なのかもしれないが、「家庭の不幸度合いがそこまでではないコンプレックス」(借金はあったが生活保護もらってないし、父親はクズだが肉体的暴力は受けてない等)というものが私には存在したが(そういう意味で、前田裕二とかかっこいいと思ってしまう笑 石原さとみ、別の人と結婚しちゃったね。)、多分私にはそのカードは重すぎると、神が判断したのだろうと最近思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?