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「きちんとした仕事」という呪縛

(2019/11/28)
長らくブログを更新していなかった。忙しかったとか色々あったけれど、ちょっと鬱々としていたというのがある。
もともとイギリス滞在は、1年目:大学院準備、2年目:大学院、3年目:NGO(必ずしも有給でなくてもよい)、という計画を立てていて、その通りに「大学院生」という身分を終え、念願叶ってロンドンのNGOで週3活動してはいる。NGO以外にもやることはあるので、すごい暇というわけではないものの、「無給」という選択をしたことが、こんなにも精神的負担になるとは思いもしなかった。

チャリティワークの有給ポストが簡単に手に入るわけではないこのロンドンで、ご縁があって見つけた素晴らしいチャリティでそれなりに好きに働かせてくれる、というありがたい条件で無給ワークを始めたのだが、責任がそんなに発生しないこと、自立してない状態であることが、自分にとって地味に辛いらしい。

かといって、エージェントが紹介してくれたりするような普通の会社の仕事に戻りたくないし、最近頂いた物書きのお仕事(でもこれはやりたいことの一つではあった)もそれが人生の主軸とは思っていないので、ことあるごとに「それなりにやりたいことやったからもう日本に帰りたい(だって私の目的は日本にあるし!)」と思ってしまうのである。


LSEが誇る社会人類学者David Graeberは、20世紀に増えた管理職系の仕事(コンサルタントとか金融とか企業法務等々の仕事)をbullshit jobs、くそどうでもいい仕事と言っており、きっとそういう「くそどうでもいい仕事」を前職の金融でしていた私は、辞めたことを一ミリも後悔していないし、今のような「人生の夏休み」みたいな期間を過ごすのも悪くない、と思っているはずなのに、Graeberがいうようにはそれらの仕事を「くそどうでもいい仕事」とは心底思っていないらしく、「きちんと組織に属してお給料をもらい”責任ある仕事”をしないといけない」みたいな社会的規範にどこかで縛られているのである。

そして、そういう規範に縛られているように見える人、もしくはそういう大きな組織にいる人から、大きな会社や組織での仕事があるよ、みたいな大変有難いお話しを頂くと、私はその規範で縛られているがゆえに、「無給でプラプラしている(そして謎にキャリアに全く関係ない最低賃金レベルの寿司屋のバイトをしている)」ようにきっと見えるのだろうと勝手に思い、イラっとしたり落ち込んだりする。(もちろん大きな組織じゃないと成し遂げられない事もあることは、十分承知はしている)。その象徴みたいな出来事が、某MBAにいる女子(元外資コンサル、20代半ば)に、初対面にも関わらず「わあ!駐妻いいですね〜憧れます」と言われた瞬間なのだけれど、「いやいや絶対憧れてないでしょあなた。そういう言い方、初対面でする?」とその配慮のない感じに半ば呆れ、まあこの類の人には一生理解されないだろうとわかっていつつも、なんだか痛いところをつかれた気分になってしまう。

そういう喉の小骨みたいな小さな違和感を抱えながら、イスラエル旅行、北欧旅行と、ターニングポイントになるような旅をし、いくつかの小さな目標(ファンドレイジングイベントの主催や生まれて初めてのメディアでの記事執筆等)をたてて夏と秋を越えて、それでもやっぱりなんだか気持ち今ひとつ晴れない、みたいな日々を過ごしていた。

そんな中で、NGOで年に2回開催している旅行に行かせてもらえることになった。私の貢献がある程度評価されたのかな、とも思い嬉しい反面、一見社交的に見えるかもしれないけれど、それなりにパーソナルスペースが必要な私は、難民のメンバーとスタッフと24時間✖︎数泊する、という事態にちょっと慄き、結構不安であった・・
続く。

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David Graeberの言葉をネットから拝借↓
「この社会は、本当に意味のある仕事をしている人が、怒りのはけ口になるような社会です。たとえば、看護師やゴミ収集者や機械工はいなくなってしまったらこまる職業です。
その一方で、プライベートエクイティのCEOやロビイストやPRリサーチャー、テレマーケティング担当者、法律コンサルタントなどの職業は消えてしまっても、われわれはたいしてこまらないでしょう。むしろ社会は良くなるかもしれません。しかし医師のようなわずかな例外を除いて、意味のある仕事をしている人ほど賃金が低くなっています」

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