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「何者かになりたいって、みんな思っているのよ」

(2020/05/13)
コロナで色んなものがこれまで以上にオンラインに集中しているから、定職と何か名乗れるような肩書きがあるわけでもない私は、「オンライン上で何か価値あることを発信したり作り上げたりしないといけないのではないか」という謎のプレッシャーみたいなものを時々感じる。

とは言え、毎日ボーッとみているインスタや、すっごい時々見るYoutubeで自分メディアを作り上げている人々を見ても、「そんな誇らしく売り込むもの何もないし、そもそも私の場合発信する暇があったらインプットした方がいいのでは」という結論に結局至る。

やりたいことは知っているし、そのロードマップに沿って細々この滞英期間を過ごしてきたという自負もある反面、あまりにも地味でニッチで「まだ何者でもない」という居心地の悪さを、”自分メディア”みたいなものがそこらに溢れている今、余計に感じてしまう。

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”「何者かになりたい」ってみんな思っているのよ”

大学3年生の冬に食堂で、当時仲良くしていた法学部の頭の良い女の子が呟いた言葉だ。ベリーショート、小柄で小顔で、確か北関東のどこかの公立トップ女子校出身で、ちょっと地味だけど、くるっとした目と可愛らしさと毒を秘めてて、変わっていることも含めて自分の良さをよくわかっている感じだった。強気だけど、とても繊細な部分も透けて見えた記憶があった。私も彼女も卒業後の就職を選ばなかったから、みなが就職活動に明け暮れていて忙しい中、違う道を選んだもの同志で食堂でお茶でも飲んでたのだろう。

どんな状況でその言葉が出たのかは、全く思い出せないが、彼女がこう言ったことと、それを聞いて「他の誰でもない、”何者”かになりたいのは、彼女自身なのだ」と思った記憶がある。

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自分の個性や長所を磨いて磨いて、唯一無二の「何者かになりたい」というのは今の私も同じだ。与えられた自分の魂を進化・深化させる、というのは人がそれぞれ生まれ持ったミッションなのだろうから。
それに、今のままでも、唯一無二の「何者」なわけなんだ、本当は。

「何者かである自分」を急いでオンライン上でパブリックに出す必要は、必ずしも全員にあるわけでもないし、仮にあったとしても、そのタイミングや理由は人それぞれなんだ、と焦るな自分と言いたい。(私は多分、自分の年齢も気にしているのだ)

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賢い、小さなフランス人形みたいだった彼女は(実際フランスに語学留学に行っていた記憶がある)、今どうしているだろう。

何者かになれた、と思っているんだろうか。

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