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寿司屋バイトを続けた理由

(2020/05/30)
明日、日曜日昼のシフトをもって、寿司屋のウェイターのバイトを辞める。1年3ヶ月余り働いた。


小金が欲しくて、NGOが終わった後の夜の時間だったら働けるだろうと思って始めたバイトだったが、初めの数ヶ月は、夜終わったあとの”飲み”なんてイベントもあった。断れず、白湯を飲んでごまかして、深夜1時過ぎ(酷い時は2時)に帰って翌日朝起きてNGOの事務所にいく日なんて日はもう、オフィスワークの比じゃないほど疲労が体にきていることを実感した。


最低賃金レベルで、飲食店で将来働くわけでもないから殆ど何の役にも立たなくて、そんなに楽しくもなく、肉体だけ辛い(掃除皿洗いの掃除婦含みの)仕事をずるずる続けていたのはなんでだろうとぼんやりとずっと考えていて、最近ようやく、結局はここだったのかなと思い当たった。

「ぬくぬく駐在妻イメージ」みたいなものへの抵抗だったのかなと。

昔ほどは”駐在妻”は華やかでもなんでもないし、日本企業のプレゼンスはこれからも落ち続けると思うけれど、「腐っても鯛」的な福利厚生の手厚さはあり、「共働き」をしなくても家賃・物価の高いロンドンに住めるだけの給料待遇は用意されている。

老母の、「収入以上の暮らしをするな、小さなお金を粗末にするな、余裕のある時は少しでも貯めて備えろ」という教えと、それをクレイジーなまでに実践して、低賃金のパートで作ったお金を教育に投資してくれた(そして今も極限まで生活を切り詰めている)彼女の生き方を時々思ったり、

今自分が貧困の状況をNGOで目の当たりにして、「何もせずにぬくぬく”駐妻”みたいなポジションにいること」への居心地の悪さが、私を最低賃金の肉体労働に留まらせた気がする。

もちろん、駐妻でも子供がいたら、大変さは全く違うとは思う。私は子供がいないからこそ、余計に、有閑駐妻のイメージと反対のことをしていたのではないか。


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そして多分、地道な「労働」の価値を確認することと、その周りで働く人と触れ合うという意味もあったのかもしれない。
寿司屋は、スリランカ・フィリピン等のアジア系のシェフと、日本人ワーホリ・若いイタリア人のウェイターで成り立ってて、ここには日本人留学生や駐在員・駐在妻とは全然違う世界が広がっている。私以外は、みんな週5以上で働いていて、昼間の休憩があるとはいえ、ほとんどの時間この店にいる。そうすると、寿司屋がみなの主なイギリスにおけるコミュニティになる。正直、ものすごく世界が狭い。特にワーホリの子たちは2年しかここにいないわけで、イギリスに来ていてそれでいいのか?とよく思ってしまっていた。
シェフとマネージャーは技能職だけど、高級店でもないのでウェイターを評価する仕組みはそうあるとは思えない。となると、本当に肉体労働をお金に変えているだけになる。
(もちろん、すばらしく仕事のできるバイトはいて、彼女なんかはどこいっても頑張るんだろうと思ったけれど)

でも、この世から完全に肉体労働がなくなるわけでもないし(いくらAIが発達しても、すべては代替できない)、綺麗に掃除された綺麗な店で料理食べたいっていうのは人間の基本的な欲求で、それを支える仕事は必要だし、みんなそれに小さな誇りを持って働いているのだ。

世の中の動きがどうとか、そんな高尚な話なんて出ないし、移民であるフィリピン人や日本人シェフは難民への悪口も堂々と口にして、その正直振りに驚いたけれど、社会の末端で、外国人移民として、若干不安定な状況で真面目に働いている人々がいるんだという、その現実を、自らも末端として働きながら身をもって知ることができたと言える。


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細々と貯めたお金で、社会福祉士の資格でもとれたらいいかなあと、夢想している。

いつ日本に帰れるだろうか。


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