見出し画像

経験の共有 -Supervisionの時間

私のいるNGOでは月に一度、外部から雇った臨床心理士によるsupervisionがある。何かというと、臨床心理士とディレクターを除いた全スタッフが、その雇った臨床心理士に色々相談できたり話を聞いてもらえたりする時間である。(うちの団体の臨床心理士に関しては、彼らは仕事の一環として自分のセラピーの時間を必ず設けているので、ここに含まれない)
私はこの月一度の機会を割と楽しみにしている。というのも、Rで過ごしている中での何気ない感想を他のメンバーと共有すると、彼らから新しい視点が見えてきて大変面白いのだ。普段一緒に何か作業している時にはなかなか話題に出ないことが、supervisionというきっかけで、しかもディレクターも入らず、情報が漏らされることない、自由が保証されている空間で共有するからこそ、発見があるのだと思う。


普段は、拷問を受けた人のためのNGOで働いている臨床心理士のフェリックは、我々が部屋に入ってくると業務に変わりがあったとか最近どう?とかという何気ない会話からスタートしてくる。その日はルイスが仕事で来なかったから、フェリックとキャリーと私だけだった(ケースワーカーは我々の後の時間に設定されている)。

ここ1ヶ月で起きたことをプライベートも含めて話したりして、特になんのルールもなく、私もキャリーも思いついたことを話す。私がコミュニティフォーラム(数ヶ月に一度行われるスタッフボランティアメンバー全員が関わるミーティング)が面白かったと、去年他のNGOからRに入ってきて新代表になったエリーは、Rに新しい風を吹かしていると思う、特にリーダーシップの取り方とか前のマークと違うんだと改めて思った、と話したら、
あら、同じこと思ってたの!とキャリーが言う。私たち同じこと考えてたのね!と。

そこでフェリックとのsupervisionは時間切れとなり、私とキャリーは残りの仕事(30人分の昼ごはん作り)の続きに取り掛かりながら、キッチンでヒソヒソとその続きを話した。キャリーは、メンバー、特に男性については、マークのようなカリスマ的で男性的なリーダーをまだ求めている節があるのではないか、という。特に彼らは中東やアフリカ文化にある”家父長制”的なアイデアをまだ引きずっているところがあるから、余計マークの存在を欲していると感じるという。私は、メンバー、特に古株のメンバーについては、マークを兄のように慕っているところがあるのは感じてたけど、そこまで強く、マークを恋しく思っていて、マーク→エリーの変遷について戸惑っているけど適応しようとしている、と思っていなかった。でも、思い返せば確かにそうかもなあと納得した。エリーは、カリスマ的なリーダーというより、Rに関わる一人一人がリーダーシップを発揮できるようにと、サポートしている感が強い。代表といえども、スタッフや私のような無給スタッフとも距離が近いし、皆の意見を拾いながら前へ前へと船を漕いでいる感じがする。

Rに関わる人は皆、性別・国籍・政治信条・性的志向によって人を差別することはしないよう求められているものの、中東やアフリカ出身の男性メンバーと若い女性のケースワーカーとのやりとりから、彼らが無意識的に、家父長制の中の強い男性像を演じていて、ケースワーカーを相手に威圧的態度をとったりすることがあるのも、父的な強いリーダーを欲することとリンクする。

マークのようなリーダーの形も、エリーのようなリーダーの形も、どちらもありだろう。大切なのは、リーダーが変わってもRのエーソス・核のようなものをどう維持していくかである。半年前の代表就任以来、彼女はずっとそのことを考えていると思う。
Supervisionをきっかけに、自分の経験の点だったものを、少し線に伸ばせたような気がする。日本のNGOでもスタッフやボランティアにもこういう時間を設けてたりしている団体はあるのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?