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難民支援チャリティ「R」に関わることの効能

(2019/02/11)

私が関わっているNGO(Rと表記しよう)について書きたい。ここは、難民、それも拷問、集団的暴力(レイプとか)、投獄等によりトラウマを抱えた人たちのための団体だ。

私がこのNGOに心惹かれたのは、物理アプローチと精神的アプローチを両輪で回していて、家族のようなコミュニティを形成しているからである。何かというと、メンバーのニーズは人によって違うけれど、大きく分けると1物質的な、生活に関わるニーズ(難民ステイタスを得て英国に暮らすための申請に始まり、住むところ食べるところの必要、生活の糧をいずれ得られるように教育や雇用のためのトレイニングの必要等等)、と2トラウマを癒すという、物質的なものと精神的なものの二つを欲している。

物質的な生活のニーズ、精神的なニーズ、どちらかだけだと人間の幸福感は満たされない。特にトラウマのような問題を抱え、故郷を追われた難民の人にとっては、どちらも切実な問題だ。

そして精神的なニーズも、単に心理療法士のセラピーだけでは不十分であり、自分がコミュニティに属していて、家族のように受け入れられているという安心感、人と人との生きたコミュニケーションが取れて自分がそこから喜びを感じられるような経験の積み重ねが、人を癒していく。だから、心理療法士のグループセラピーに加えて週に2回は一緒にご飯を食べ、皆でガーデニングをして植物が育つことを一緒に見て喜び、時にはそれを収穫して食べて、なんとも言えない充実感を味わう。また年に2度ほど小旅行もいくし、時には遠足にも行く。

ここ3ヶ月くらいこの団体で過ごしてみて、改めてこのコミュニティモデルの素晴らしさに気づくとともに、このモデルがUK内でも稀有であることにも気づいた。あまりにも大きすぎたらこのコミュニティモデルは機能しないし、小さすぎもよくない。絶妙なバランスが必要だし、家族のようなコミュニティには簡単には育たない。

そして、私にもこの癒しの効果は波及しており、自分が欲していた”所属感”が得られたことに気づいた。英語がすごく堪能なわけでもなく、どうしてもイギリス人スタッフだけの会話の輪にはいると文化的なことを含めて細かいところがよくわからない(それはそれですごいストレスでもあり、だからふつうのイギリスコミュニティだと自分がよそ者だと強く感じてしまう)。それでも、自分が受け入れられていて、場所があって、私が尊重されているという感じが、スタッフからもメンバーからも伝わるのである。日本にいると、私は「日本人」というマジョリティだし、日本語は細部に渡り自然と理解できるし生産性もすべて英語だけで行うよりは断然に高いし、どこにいても大体はなんとかなるだろう(もちろん、日本にいても疎外感を感じることは往々にしてあるが)。でも、ここUKだと私は外国人だし、簡単には自分の場所は提供されない(もちろん日本人コミュニティだけで暮らすならそんな不便はない)。

だから、「自分の場所がある」という感覚、これは生きている上で非常に重要なんだと、改めて感じている。


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