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2022年6月12日(日)物語と「書くこと」

今朝「寝すぎた!」と慌てて時計を見たらまだ6時前だった。それでも8時間半寝ていた。ひとりだと、こんなにぐっすり眠れるのかと驚く。

今日は、ライフログの自習室に始まり、病室のベッドの上でゴロゴロしながら昔のできごとや当時の気持ちを思い出して、過去から今までの繋がりを感じた一日だった。

妹にいろいろ教えるのが好きだったな、とか。
いろんなアニメに感化されてきたな、とか。
恋愛って自分の価値観が浮き彫りになるよな、とか。

そういえば小学生のとき交換日記を書いていたなー。鍵付きのやつ。
そうそう、友だちと好きな人がかぶって、しかもその子が付き合い始めて、失恋したんだった。その男の子と、偶然大学で再会して。社会人になってから友人たちを交えて話しているときに「脚本を書いている」と言う話をちらっと聞いて、それが気になって二人でごはんに行ったんだ。

「デザインも、編集も、脚本も、同じ。つくるというのは、物語を描くことだ」という彼の話にすごく共感した。そういう考え方ってすてきだ。誰かの物語を描く。それが企画。

書くことだって、物語の表現。できごとだけじゃなくて、そのとき見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたことすべて。読んでくれる人がいたら、またそこに新しい物語が生まれる。

小学生のとき、国語の授業で「物語をつくる」という課題があったよね。
思い出して言ったら、彼は懐かしそうに、どんな物語を書いたかもクラスメートたちの反応も覚えていると話してくれた。すごく楽しかったよね。自分の中から生まれてくる物語を文章にするのは初めてで、楽しかった。
こうやって同じ思い出を共有できるのも、すごくうれしい。

わたしも書くのが好きで、日記だけじゃなくて実は短歌とか……と呟いたら、すごく興味を持ってくれた。誰にも見せたことのなかった短歌を、勇気を出して見せた。「すごくいいね、俺は好きだ」と言ってくれた。うれしかった。「もっと長い文章も読みたい」という彼の言葉に背中を押されて、noteのアカウントも作ったんだった。

好きなこと・得意なこと・自然とできちゃうことって、実は誰かに教えてもらわないと自分で気づかないことも多いと思う。わたしも、社会人2年目のときはまだ仕事がつらくて書く楽しさなんて全然わからなかった。というより、楽しく書けていなかった。わたしの書いたもので、誰かがちょっと救われたり、ちょっと背中を押されたり、その人の物語が素敵な方向に進むようなことは想像できなかった。

でも、「出してみる」ことで誰かの反応が返ってくるのはすごくうれしい。楽しい。書くのって、楽しい。

「書いたものを出す」きっかけをくれた彼には感謝しかない。
そう気づいて久しぶりに話したくなって「もうすぐ息子さん1歳?」と連絡をしたら、なんと今日がお子さんの誕生日だという返事!! こんなことってある!? すごい偶然。
話したいことも聞きたいこともたくさんあるんだけど、今日は家族でお祝いをする大切な日。おめでとうの言葉と「全力でお祝いしてきてね」と伝えて、また後日連絡することにした。

「子どもが1歳を迎えたパパ」として、彼がどんなことを日々感じたり考えたりしているのかも聞いてみたい。
家族ができるって、ものすごく大きな変化だから。
今わたしは、〈つむぎや〉で、物語をきいて残すために書いている。それは、すごく楽しくて、貴重で、わたしにとって幸せな時間。こういう気持ちを大切にしたいな。

わたしの子どもたちにも、「物語」を大切にしてほしいと思う。一瞬一瞬を切り取るのも素敵だけど、それは過去から未来につながる物語の一部なんだってこと。過去を消す必要は全然ないし、未来は自由に描いていける。まわりの人の物語にもときどき登場する。そう考えたら、過去も未来もすごく愛おしく思える。あなたの物語はあなたのもので、わたしはただそれを見守っているよって言ってあげたい。

なんか全然まとまりないけれど、感じたことをつらつらと書いたままのこれが今日の日記。

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わたしが初めて書いたnoteを読み返したらすごく恥ずかしいけどあったかい気持ちになったので最後に貼っておく。



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