味わう、ということ。

主人は、いつもわたしの作ったごはんを褒めてくれる。

「いい匂い!お腹がすいたよ~!今日も彩り豊かでおいしそう~」と盛り付けを褒めてから、「おいしい!」とシンプルに言うこともあれば、「やっぱり家のごはんが最高」「今まで食べたエビチリで一番好み!」「定食屋さんになれるよ、ごはんおかわりしようっと」などと言ってくれることもある。そして食べ終わると、「ふうー!おなかがよろこんでる!」と笑顔で満腹になったお腹をさすって見せる。

できた主人である(拍手)。

わたしは手の込んだ料理を作っているわけでもないし、料理が上手なわけでもない。毎食褒めてもらって、やっと料理をする気になるくらいのモチベーションなのである。

* * *

そんな主人が今夜、神妙に呟いた。
「どうして、まりこのごはんはこんなにおいしいんだろう? ってずっと考えてた」

……え?

「実家でもご飯をたべていたはずなんだ、当たり前だけど。きっと毎日毎食おいしかったんだと思う。それなのに、あまりおいしいって思いながら食べていなかったんだよね」

男の子だし、わざわざおいしいなんて言わないんじゃない?

「そうじゃなくて……なんていうかな、実家でどんなものが食卓に出ていたか、どんな味だったか、思い出せないっていうほうが正しいかも。それで、考えて、気づいたんだよ、まりこの料理がおいしい理由」

…うん、なんだろ(ドキドキ)

「食べることに集中しているからだと思うんだよね」

!?

「実家では、食卓のそばにテレビが置いてあって、俺や兄貴はテレビを観ながらご飯を食べることが多かった。だから、どんな料理かなと味を想像しながら箸を伸ばすこともなかったし、今日の野菜はあまいとか、味付けが濃いだとか、ちゃんと味わっていなかったんだと思う。
でも、まりこと食べるときは、料理の匂いがするときから食べるのが楽しみだし、見て、食べ始めて、味わって……五感で食べていると思うんだよね。だから、からだじゅうで、おいしいって思えるんだよ」

* * *

驚いた。そんな風に考えたことはなかった。
我が家でテレビをつけていないのは、ただわたしにテレビを観る習慣がないからだし(主人もテレビに時間を取られるのは嫌だ、と言うようになった)、食事の時間くらい、ゆっくり二人で話したいと思っているから。

でも、主人の言葉をきいて、それが「味わう」っていうことなのかもしれないと思った。

日常生活の中で、やることが多すぎていろんなことを同時進行させる。でもそうすると、ひとつひとつに向き合うていねいさみたいなものは、どうしても失われてしまう。

流れてしまうものがあってもよいけれど、せめて自分の中に何かを受け入れるときは、もっと時間をかけて、丁寧に向き合うのが大切なのかもしれない。ちゃんと、五感で「味わう」ことで、心もからだも、もっと豊かになれるのかもしれない。

英語でいう「appreciate」に近いイメージ。

大袈裟かな、と思いつつ話したら、「そうだね、すてきだ」と主人は微笑んで、「ゆっくり味わうことで、こんなことを話せる機会もできるということだね」と言った。「子どもが産まれても、食事の時間はテレビはつけないことにしよう」

この記事が参加している募集

#スキしてみて

522,734件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?