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疑似家族への憧れ⓪

10代の苦しみか、私の苦しみか

10代のころ、本ばかり読んでいた。
ほんとはマンガがたくさん読みたくて(実際たくさん読んでいたけれど)、お小遣いが少なくて図書館にも通って、おじさんが読むような歴史小説や、芥川龍之介など教科書に出てきそうな本も片っ端から読んでいた。

心配性の母

九州の片田舎から関東のベッドタウンに引っ越してきた我が家は、家の中では方言を話しつづけた。子供であった私たちは新しい友達がたくさんできたけれど、大人になって引っ越してきた両親はあまり知り合いはできないようだった。今思えば至極当然のことだけれども。

私の偏見も入っているかもしれないが、田舎ではちょっとしたことがすぐに噂になるし、不文律が多い。息苦しい反面、それに従っていれば地域の一員として助けてくれる人も多い。
関東にいながら、母の心は九州にあった。
私の一挙手一投足が、母の思う規範(=田舎の人に悪くいわれないか)から外れていないか、日々チェックされた。
ベッドタウンとはいえ、電車も走っていないような田舎から比べれば都会的な感覚を身につけた娘の言動は、母に不安しか与えないようだった。

私はいつしかなるべく母と関わらないようにすごすようになった。

疑似家族を見いだす

私がそういう家族の中にいたからなのか、それとも10代とはそういうものなのか、息苦しさを覚えていた私は、自分の家族の外に意識を向けるようになった。ここで異性に目を向ける人もいるのだろうし、ちょっとワルい集団とツルむ人もいるのかもしれないが、私はいわゆるオタクになった。
といっても、家にテレビは一つしかないし、お金もないし、しかもアニメにはなんだか嫌悪感を持っており、耽溺の対象は主にマンガや小説だった。

今から考えると、その頃読んでいたものは、本当の家族ではなく、血がつながらない「疑似家族」的な世界が描かれていたと気付いたのは大人になって、ずいぶんたってからだ。

ここでは、自分自身の整理のために主な作品を振り返っていきたい。

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