12歳の私と共に生きよう

自分のことを書くのはあまり簡単ではない。そして、好きではない。

自分のことを見つめる内観という作業は自分にとって苦痛だ。

でも、この時代だからこそこの内観が必要だ。

そこはわかっている。

でも、苦手なんだよね(笑)



最近、話を聞いてもらったら、12歳の時の私が出てきた。

12歳の私はとても傷ついていた。

12歳は小学校6年生と中学1年生のあたりだ。

その傷つきが半端なかった。

実は、いじめなどにもあっていた。

仲間外れにもされた。

どちらかというとKYの人で、空気を読めず、個性をとても発揮していた。

とても学校になじまない子だったのだ。

不思議ちゃんだったと思う・・・・。

しかも昔の田舎の小学校や中学校。

人と一緒が当たり前。

外れていることを良しとしない傾向があった。

そこで、人にいろいろ言われたことを自分で思い出さないようにしていた。

思い出したくなかったのだ。

自分の心の奥底にしまっていた。

その感情の箱を何年も開けないようにしてきた。

そのパンドラの箱を開けたくなかったが、自分のことをもっと探るために今回開けることになったのだ。




12歳の私はとても傷ついていた。

何度も何度も人に裏切られた。

だから、私は人が好きだが、いつか裏切るんじゃないか。

そう考えながら日々を過ごしてきていたのだ。

今でもそんなことを感じることがある。




12歳の私は、とても頭がよくなっていた。

自分の感情を押し殺すことで、そつなくみんなに溶け込もうとすることを決めた。

あきらめたのだ。

それまでの私は誰かが助けに来てくれて、誰か理解してくれる人が出てくれるのではないかと期待していた。

でも、どこにもそんな人はいなかったのだ。

それまでは、自分軸で動いていたかもしれない。

苦しいために、それをすべて他人軸にシフトしたのだ。

自己受容なんてあったもんじゃない。

自己肯定感なんて、無に等しかった。

自分が悪いんだと、自分を責めた。

自分を責めることで、自分を守っていたのだ。

そして、その時の担任も家族も守ってくれないと、他人を責めていた。

居場所がなかったのだ。

愛情なんて感じていなかった。



結構ひどい話だ。

学校の上靴を隠されたときもあった。

いろいろからかわれたときもあった。

それまではすべてと戦っていたのだ。

負けるもんかと、誰とも喧嘩して負けず嫌いを前面に出していた。

でも、12歳の私は修学旅行も楽しくなかった。

全ての記憶がよみがえったわけではないが、グループを組めなかったのだ。

仲間がいなかった。

すごく寂しかった。

でも、学校に行かないと負けた気がして、学校に行かないという選択はなかった。

唯一、頭はよいと自分で自負していたので、中学受験をした。

「小学校で一緒だった嫌いな人とも離れられる!悩みがなくなるのだ。」

そんな風に考えて、受験したのだが、落ちた。

そこで、絶望感はものすごかった。

きつかったな。

自分は頭がいいと思い込んでいたから、めちゃくちゃ荒れた。

人にバカにされると、自分のことを責めた。

悔しかった。

私をバカにするやつらと一緒に中学校に行きたくなかった。。




12歳の私はすべて感情を押し込めることを決めた。

金魚のふんのように人について行った。

仲間外れになりたくなかったから。

そして、人の感情に敏感になった。

この人怒っているのかな?大丈夫かな?

常にびくびくしている私がいた。

人に気を使い、何か言われるのが嫌だから、先回りした。

怒られるのも嫌い。

だから怒られないように動いた。

先生に怒られないように、人に怒られないように、自分を出し過ぎないように。

人に嫌われないように。

そんな風にして過ごしてきた。



今ここで文章を書いているが、人という表現を使っている。

友達ではないのだ。

友達って心を許せる人のことを指す。

でも、12歳の私は自分を守ることに真剣で、一緒にいる人のことを友達とは表現しない。

つまり、いつも孤独だったのだ。

1人で生きていくことはできないのに、常に1人で生きているつもりでやってきていた。

中学の友達と連絡を取るのは、男子だけだ。

ほとんど仲の良い友達はいなかった。



最近私の課題は、「嫌われる勇気」だ。

自分軸で動き、誰かに嫌われることもいとわず、自分の思い通りに動くといい。そんな風に言われている。

でも、12歳の私が心の奥底で叫ぶ。

また、人が離れていくんじゃないか。

人に気を使わなくていいのか?

私は人と一緒にいると疲れる。

それは、気を使わなくてはならないと自分が自分を縛っているからだ。

自分が自分を縛ると、本当に苦しい。

それがわかるようになってきたのだ。

子どもたちといると、自分を着飾ることはしない。

しかも、個性のある子どもたちと過ごす時間はとても心地いい。

自分の好きなことに邁進し、没頭する。

その時間を見ているのは、とてもかけがえのないものだ。



言い訳もたくさんしてきた。

○○だから、○○できない。

こんなことを言って、自分を守ってきた。

そして、他人のせいにしてきたのだ。

こうやって書くと、なんて嫌な奴なんだろう(笑)


どちらにしても、12歳の私はとても傷ついていて、今の私に話しかけてくる。

嫌われるのは怖いよね。

人と違うことやらないほうがいいんじゃない?

自分で決めないほうがいいんじゃない?

決めると、自分で責任を取らないといけないよ。

他人に褒めてもらうように見せたほうがいいんじゃない?

自分で楽しいことばかりしていると、他人に迷惑かけるからやめときな。

怒られるよ。怒られないように生きたほうがいい。

まじめに悪魔の言葉だ。

傷ついたからこそ、自分を守るように身に着けた能力だ。

でも、このままで生きてきていいの?

人が全く信用できない自分でいいの?

愛を感じられない自分でいいの?

そんな風に感じている。



さあ、12歳の私。

これから変わっていく私と共に生きよう。


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