無視されることで気づいたこと
最近無視されることがある。
そこでの気づきをシェアしたいと思う。
無視をされたことがあるだろうか?
私は無視されることがとても嫌いだ。苦手なのだ。
無視されることに恐怖さえ感じる。怖いのだ。
無視をされることで、心が傷つく。
でも、なんで私はそこまで無視に傷ついているのだろうか?
そこをさかのぼっていくと、小学校や中学校の記憶に戻る。
小学校の時、そして中学校の部活で無視されたことがある。
だが、私はよく覚えていない。
それはなぜか。
実は自分の記憶を封印していたのだ。
その時の自分を私は好きではなかった。
今でいう、自己肯定感がとても低かったのだ。
相手に無視される=全部自分が悪い。
そんな風に考えていた。
そして、無視されてとても傷ついた私は、自分を押し殺すという方策に出た。
自分軸で動いていた私はすべて他人軸にシフトしたのだ。
自分で動いてはいけない。
自分の気持ちのままに動くと、嫌われてしまう。
だから自分をつくらないといけないんだ。
人に合わせていかないといけないんだ。
私は変わっているんだ。
私はダメなんだ。
そんな風に考えていった。
だから、金魚のふんのように友達について行った。
ついていくことが良いと思っていた。
ついていくことが正解で、それをすれば仲間外れにされないと思った。
その当時の私は、無視といういじめをしたことがある。
友達が「○○くんを無視しよう」そんなことを言われて、それをやった。
自分の心がむしばまれていった。
無視されるのが嫌な自分。
でも、いじめをやりたくない自分。
自分が汚れていく感じがした。後ろめたい感じばかりだった。
無視されることで私は、その昔の記憶と結び付けていた。
無視=自分が悪い。
また、そんな風に考えようとして、自分を傷つけようとしていた。
あー、また嫌われる。
嫌われてまた周りに人がいなくなる。
いろんなことを言われるんじゃないか。他人に合わせたほうがいいんじゃないか。
ネガティブな想像を膨らませていた。
だから、無視をする人がいる場所に行くのが本当に嫌になっていた。
よく言われていることがある。
自分を好きになってくれる人は2割。
自分を嫌いになる人は2割。
残りの6割はどちらにも転ぶ人。
私はその嫌いな2割の人を気にして生きていくんだろうか。
時間は1日24時間。
だから、自分と気が合う人、自分が好きな人との時間を考えたほうがいいのではないかと思う。
幸せなことに時間を使って幸せな自分になっていけばいいい。
でもさ、人間だもの。
いろんな感情が押し寄せてくる。
「その人に嫌われてもいいの?」「無視され続けてもいいの?」
違う自分が隣でささやく。
そして、自分がそこに流されそうになる。
無視が恐怖。
そんな風に考えていた。
きっといじめを受けている人もそうなのかもしれない。
誰も話してくれない恐怖。
一人の孤独な恐怖。
そんなことにさいなまれているんだと思う。
もし、中学生とか学校の世界しかないなら尚更だ。
その人に嫌われたら、そこの場所に入れなくなるんじゃないか。
そんな風に自分を追い込んでいく。
でも、実は問題は相手のところではない。
その出来事をどうとらえるか。自分の問題。
わかっているけど、できないんだよ。
もちろん私もそうだ。
難しい問題。
でも、難しくしているのも自分。
無視は怖い。
その自分をまず認める。受け止める。
あー、私は無視が怖いんだな。人に嫌われたくないんだな。
自分を守りたいもんね。
そこからスタートすればいいんじゃないかなと思う。
怖い、恐怖心と闘わなくてもいい。
受け入れて、ただ感じる。
そこから考える。自分を遠くから見ているような感覚でみる。
「自分は何がしたいの?どうしたいの?」
①その人に嫌われるのが嫌で、自分を押し殺していくのか。
そしてその先がどうなっていくか想像する。
②それとも、そこを気にしないで、幸せなほうに目を向けるのか。
それも想像する。
③誰かに相談するのか。
他にもいろいろ考えられるだろう。
どんな選択肢でもいい。
でも、選ぶのは自分。そして、今を作るのも未来をつくるのも自分。
自分軸で生きていくのか、他人軸で生きていくのか。
幸せは人によって形が違う。
だから、正解はない。
でも、私はこれからは自分で生きていこうと思う。
さあ、あなたはどうだろうか?
そして、無視という出来事はただの出来事に過ぎない。
それをどうとらえるのかをきっと私たちは神様に試されているのだ。
あ、でも私も正解ばかりじゃないし、悩む。
一緒に悩ませてもらえたら私は嬉しいなと思う。
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