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自分の感情を理解できなくなってしまった理由


私たちはなぜ、自分の感情に無頓着になってしまったのか。
その理由は、幼い頃までに遡る、
と、ふみちゃん先生は教えてくださりました。

言葉の話せない赤ちゃんの頃は、
感情表現=泣く
という手段しかありませんでした。

そして、少し大きくなって、
例えば、砂場でお友達と遊んでいたら、
お友達にシャベルを取られてしまい、
悲しくて、女の子が泣いている。
そんな状況があったとします。

この時に、多くのお母さんは、
女の子に、なんと声をかけるでしょうか?




(thinking time…)


お友達に、シャベル貸してあげようね。

仲良く一緒に遊ぼうね。

泣いたらダメだよ。


こんなところじゃないでしょうか?
あるあるな光景だと思います。

これはお母さんも、
悪気があって、このような声かけをしているわけではないはずです。
でも結果的に、

子供が「感情表現できない対応」をしてしまっているのです。

なぜかというと、
女の子が、泣いている背景にある
「感情」を無視しているからです。


・悔しかったんだね。
・嫌な気持ちになったんだね。

まだ自分がなぜ泣いてるのか言語化できないけど、
そうやって、大人に感情に名前をつけてもらえたらいいんです。

でもそうせずに、いい子に振る舞うことを促されてしまったら、
なんとなく体の感覚でよくわからないエネルギーが溜まっていく、
ということになるそうです。


幼い頃からの、大人達のこういった対応が、
経験としてどんどん積み重なっていきます。

あわせて、少し年代の上の方達は、
「人前で、感情をオープンにをすることは、
はしたないこと。恥ずかしいこと」

という、風潮もあったとのこと。

こうして私たちは、
どんどん感情に無頓着になっていったんですね。

その理由がわかると、少し整理できますけれど、
こういう前提のもと、
それでも、きちんと自分の感情に自覚的になれるよう
意識しなくてはいけないんだ、と思わされますよね。

ベースとして、人間は楽な方に流れる生き物。、とか
ベースとして、人間はマイナスな情報に、本能的に目がいくもの。

とか、そんな例とも似ています。

ベースとして、自分の感情には無頓着になりやすいもの。

と、意識しておこうと思います。


もちろん、社会で生きていく以上は、
例えばネガティブな感情をそのまま露骨に相手にぶつけてしまうのは
相応しくないシーンもたくさんあります。

でも、相手に表現するかどうかは別として、
自分だけは、自分の感情を自覚しておくことはとても大事。

それができなくなっていることによる
心に起こる弊害はすごく多いそうです。

また第2回の読書会で、ゆっくり学んでみたいと思います。

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