不登校になった娘と私②
病院受診
初診
病院受診を勧められ予約をとろうと思ったがどこもだいたい半年待ち・・・
カウンセリングをお願いした友達に勧められた病院にした。
「小児こころの外来」発達障害や心身症を専門としている病院である。
都会はどうかはわからないが、地方は専門外来はかなり少なく受診が必要なこどもに対して受け皿が足りていないことを実感する。
ようやく予約の日。
母子手帳を持参するよう言われ、受付に行くとたくさんの問診が手渡され数枚の問診に記入した。
こどもと親は別々に診察室に入り先生と話しをした。
娘は不登校になって数か月がたっていたが、学校で起きた出来事を話そうとすると、泣き始め徐々に嗚咽するくらいに泣いたと先生から聞いた。
「はっきりと診断できるのはいろいろ検査をしてからにはなりますが、PTSDの可能性は高いと思います。」と言われた。
「今は登校は難しいでしょう。」と。
2回検査の予約をしてその日は終了した。
専門家に相談できる・・・そのことにほっとしたのを覚えている。
検査
心理検査とWISCという知能検査を行った。
それぞれ1時間以上かかる検査だったが、娘は「楽しかった。」と言っていてほっとした。
検査結果
先生はあえて娘にはPTSDという診断は伝えないと言われていた。
診断名に娘が依存しそうだからだとの考えであった。
あとは、言語理解のIQが極端に低いことがわかり、相手が言うことを理解することが難しく、自分の気持ちを言語化することも苦手だということがわかった。そのため、学年が上がるにつれ抽象化していく学校の授業も苦痛になっていたかもしれないと。
まずは、不眠に対して睡眠剤が処方され、月1回の定期受診が開始となる。
葛藤・・・
学校に行かせたい私
睡眠剤を飲み始めて娘は少し眠れるようになったきた。
それでも生活リズムは狂ったままで、朝は12時くらいに起床。
とにかくだらだらと過ごして、お昼も食べていない。
仕事から帰るとパジャマのままで夕寝をしている。
起こすと不機嫌で、いくら睡眠剤を飲んでいるといってもそんな時間に寝ていては夜眠れないと正論で応戦。
不登校が長引くと、「少しだけでも学校に行ってみない?」
「保健室登校でもいいから。」と学校に少しだけでも行かせたくなる。
学校側も「学校に来てくれたらなんでもサポートできます。」といった具合で、とにかく学校にいかないことには何も始まらないような感じだった。
今しかできない経験がある、友達とも過ごしてほしい、中学に行ってから勉強にも困る、といろいろ不安になる。
娘の行きたいけど行けないという状況もわかる。
でも行かなければどんどん行くのが怖くなるはず。
と、私が焦る。
自分が小学生の頃、いじめられていて「学校行きたくない。」と親に言ったら「そんなのほっとけばいいのよ。とにかく行きなさい!!。」と怒られて玄関から追い出されたっけ。
結局なんだかんだ泣きながら学校に行っていたけど今ではそれでよかったと思っている自分がいる。
だから娘にも「これから嫌なことだってたくさんある。でも逃げ続けることはできない。」ということを言っていた。
無理やり引っ張って連れて行こうとしたこともある。
家族の変化と私の体調不良
小学2年生だった妹の方が、姉の事を見て「私も行きたくない。どうしてお姉ちゃんは休んでいいのに私はだめなの?」」と言い出した。
その時、次女のクラスは学級崩壊しかけており、授業中のざわつきがつらいと常々言っていた。
長女の方にばかり私の神経は向いていて、気が付いたら次女はストレス性の難聴になっていた。
次女が「耳が聞こえにくい。」と言っていたが「そんなわけないでしょ~。遠くでお菓子の袋あけたら聞こえてるやん。」とそれほど気に留めていなかった。
数週間同じ症状を訴えるので耳鼻科に連れて行ったところ、ストレス性難聴と診断された。聴力検査の結果はネットで調べると補聴器をつけるかどうかのボーダーラインといったレベルだった。
しかし、ストレス性のため補聴器は意味がないとのことで経過観察となった。
このことは本当にショックだった。
次女もそれから保健室登校をしたり、登校しぶりもあり仕事を遅刻させてもらい送り迎えをしたりと精神的にも肉体的にもしんどかった。
そして長男の高校受験。
この時が一番しんどかったな~。
私自身が眠れなくなり、仕事で車を運転するため、睡魔に襲われ中央線を越えたことが何度かあった。
このまま死ぬかもな・・・でも人を巻き込むことだけはできん。
と、何とか奮い立ちほっぺや太ももを何度もつねったり叩いたりして、睡魔と戦いながらなんとか仕事をしていた。
睡眠外来に通うようになり、睡眠時間4時間から5時間というと先生に怒られた。寿命を縮めていますよ、と。
そんなこと言われてもな・・・と思った。
それから職場に相談し、時短勤務にさせてもらった。
職場のみんなは上司も含めいつも本当に心配してくれて、相談にも乗ってくれた。
それが本当に救いだった。
不登校になった娘と私③に続く
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