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発表会にはドレスを染めて

「ねぇお母さん?ピアノを習いたいんだけど」

おずおずと,でもまっすぐな目で娘からその申告を聞いたとき,面倒だな,と,いまさら?と,こわいな,という気持ちしか湧き上がって来なかった。
そうなんだ,でもピアノって毎日練習しなくちゃいけないみたいよ,とさも難しいことをいうように(実際難しいと思った)顔をしかめて娘にそう言って,大変なんじゃない,と締めくくった。つもりだった。

娘が小2にあがったばかりの5月。
習い事は半年単位で更新される体操を少しやっていたことがあるくらいで,特段何もさせていなかった。
というのも産まれたときから寝るのが異様に早く,小学生になっても夜19時半にはスイッチが切れてしまうので,そこまでにすべての事を終わらせなければならないことを考えると”余計なこと”をするのは億劫だったからだ。

楽譜もろくに読めないから家でのサポートも難しいし,ピアノを置けるスペースが6畳の子ども部屋にあるのか,そもそもこの歳からピアノを始めるなんて…と,正直はなからやらせる気がなかった。

「ねえお母さん?ピアノのことなんだけど…」
しかし2日とおかず,娘がそう言ってきたのは意外だった。結構怖い感じで言いくるめたつもりだったのに全然響いていなかったようだ。
新しい担任の先生が音楽の先生だということ(それは知ってる,だって上の子の時から数えて我が家の担任3回目だから),教室に自由に弾ける電子ピアノがあって,それをお友達と弾くのが楽しいということ,お友達はとても上手に弾けて,私もそうなりたいということ。家にある小さなピアノでは,弾きたい曲も弾けない,ということ。

1歳のお誕生日

ピアノを弾ける人になりたい。
私自身,かなり憧れた時期があった。今の娘と同じようにピアノを習いたいとせがんだこともあった。だが初期投資がかかる習い事は高嶺の花だった。自分がやりたいと始めた週5回の水泳,1回の書道,2回の英語のループの中ではピアノが入る余地もないし,と諦めてはいたが,大人になってから機会があったら習いたいと思ったこともあった。
娘が産まれ,物心がつく前に買いたいと思っていたのが1歳の誕生日のときに与えた小さなピアノだった。ピアノを弾ける人生を歩んでほしい。でも強制するつもりはなかった。時を経て,いつしか小さなグランドピアノは部屋の片隅に,そして私の気持ちも見えないところに追いやられていたのかもしれない。

大人から始める人もいるし,ピアニストを目指すわけでもない。
趣味として,長く音楽と親しむことを目的とするのであれば,何もいまさらということもないのかもしれない,と思い直し,家から近い教室を検索してみることにした。
思いがけず徒歩圏内に良さそうな教室があることが分かり,体験の問い合わせをし,結局本人が言い始めてから1週間後には正式にレッスンを申し込むことになった。

娘が気に入ったお教室は,大学時代にお世話になった女性教授の研究室に雰囲気がとてもよく似ていた。しっとりと重厚な雰囲気のお部屋には立派なグランドピアノが2台置かれていて,天井まで届きそうな本棚には難しそうな本がみっちり並んでいてとてもアカデミックな空間で,そしてとてもいい香りがした。
先生はとても品が良く素敵な雰囲気の方で,私が持つピアノの先生のイメージである気分屋で芸術肌,のようなところとはまるで対極にいたことも安心した。
娘は元来人見知りで,そのうえ難しいことがあると眉間に皺をよせがちなため「ピアノに親でも殺されたのか?」と思うような表情で毎回ピアノに向かっていたけれど(それは今でも),家でもきちんと練習し,毎週のレッスンをとても楽しみにしていたし,私もピアノを真横から眺められる椅子に座り,レッスンの様子を見るのが楽しかった。未知のことを知るのはいつだってワクワクする。

発表会があってね,良かったら出てみる?とお声がけをいただいたのはレッスンを始めてからわずか4か月後の事で,この曲がどうかしらと思ってと先生がお手本に弾いてくださったメロディがとても素敵で,いかにもピアノが弾ける人みたいでしょう,という楽譜を戴いた。
本人は目がキラキラでやる気満々だ。発表会に出るんだったら,ドレスを用意しなければならない。レッスンの帰り道,何色のドレスがいいかな,という話になったときに,娘がきっぱりとこう言った。

やっぱり,水色かな。私が染めるよ。

あぁぁぁなるほどですね。
やっぱり小物を色々染めさせたけれど,大きいのを染める機会を虎視眈々と狙っていたわけですね。
七五三で虹染めを自分の知らない間に終わらせられていたというのは本人にとってはなかなか悔しかったらしく(だって成功するか分からないし),ことあるごとに大きなものを染めたいとぼやいていた娘。
私が持っている染色剤は天然の物しか染められないので,自動的に家に余っている正絹の白生地を使うことに。ちなみに正絹とはいえ近所のいつもシャッターが半分しか開いていない染物屋さんで,1反1000円で売っているもの。


調合から,親の手は借りません

色は本人は決めるらしく,青をお湯に溶かしては混ぜて端切れで色を確かめて,という動作も慣れたもの。
あまり色は濃くしない,ということがポリシー。

じゃぶじゃぶと水遊びのように反物を染め液に浸し,水にあげて,色が気に入らなければまた染め液に戻し…と,多少の染ムラもありつつも完成。

服が変わっているのは自ら水を浴びに行ったからです

かくして染め上がった水色は,元の反物の色が少し乳白色っぽかったこともあり思ったようなスカイブルーではなかったようですが,大きいものを染められた,という気持ちで満足な様子。


発表会のための少女の服,というテキストをお手本に,本人がチョイスしたキラキラのスパンコールの入ったオーガンジーをたっぷり使ったスカートに,オーロラのようなリボンを添えて,初めての発表会のドレスはこんな感じの仕上がりに。

曲も順調に仕上がり,初めての発表会。
さすがに緊張するのでは,という家族の心配もよそに,スンとした感じで登場し,練習通りに2曲弾き,親のカタキを取ってきたというような顔つきで退場していった娘。かくして初めての発表会は無事に終わり,また次の発表会が楽しみと言っているここ最近。

ちなみに,今度は何色のドレスにするの?と聞いてみると

先生からもらった曲を聞いてから決める。

とのことで,何だかずいぶん変わった楽しみ方をしているなぁと思う母なのでした。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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