ようこそ、この世界へ。
令和5年11月10日、娘が生まれた。この日は私の30歳の誕生日。
そう、平成5年11月10日生まれの私は、元号違いで年月日が同じ娘を出産したのだ。
自然分娩でのお産で娘のタイミングを今か今かと心待ちにしていた私。予定日を7日過ぎ、ようやく会えた。
2月末、妊娠していることに気づくも、なかなか心拍が確認できず、次の診察まで待ち遠しくて仕方なかったこと。
「1歳になったばかりの息子のお世話だけはちゃんとせねば」という使命感で必死に毎日を過ごしていたら、いつの間にかつわりを乗り越えていたこと。
6月末、夫の仕事の帯同で神奈川から千葉へ。ただでさえ大変な引っ越しを妊娠中に経験したこと。
お腹の膨らみが目立ち始めた真夏の炎天下。ベビーカーに乗った息子を連れ、徒歩30分かけて辿り着いた産婦人科で「同伴者の入館はお断りしています。予約時間までにどなたかに預けてくるか、予約の取り直しをお願いします」と門前払いされたこと。
9月末、息子を連れて里帰り。この頃から体が重たく、動くのにしんどさを感じ始めた。子宮が胃を圧迫して胸焼けも苦しかった。両親に家事、育児を全面的にサポートしてもらったおかげで、母子ともに安静に穏やかに過ごすことができたこと。
「思っていたより早く生まれないね」と言い続けたし、言われ続けた10月。
いよいよ、不安になってきた11月。呆気なく予定日を過ぎ、「このままお産の兆候がなかったら11日の朝から入院して、促進剤で誘発しようか」と担当医に言われた8日。
「誕生日はポッキーの日か」なんて思いながら寝床についた9日の夜。
腹痛で目が覚めた。スマホの画面を見ると、日付は10日に変わっていた。ちょうど深夜0時を過ぎたところ。
おっと、これは?と様子を見ながら過ごすこと1時間。この痛みは陣痛だと確信。
2階の寝室で寝ていた両親を起こし、産院に連絡。父に息子を託し、私は母の車に乗せられ、産院へ向かった。
到着したのは深夜1時半。着替えて点滴付けて分娩台で過ごすこと2時間半。痛みの波に耐えて、母の立ち会いの下、新しい命が誕生した。
ママの誕生日までお腹の中でその時を待っててくれたんだね。
ようこそ、この世界へ。生まれてきてくれてありがとう。
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