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「地獄入門」(大川隆法著「地獄の法」より)

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

今回から数回に渡り、大川隆法著「地獄の法ーあなたの死後を決める『心の善悪』」をご紹介していこうと思います!

いよいよ本年も終わりに近づいてきましたが、2023年のラストスパートに相応しく(?)、「地獄」についてを皆さんと学んでいけたら幸いです!

「地獄の法」

地獄の法(引用:公式通販サイト

「地獄の法」は2023年1月1日に発刊され、2023年の年間ベストセラーにランクインしています!

どんなに時代が進化しても、どれだけ科学が進歩しても、死後の世界は実在する。

その事実を「知っておいてほしい」と警鐘を鳴らす本書は、一人でも多くの人に読んでおいてほしい必読書となります。

どのような生き方や心のあり方が死後、天国・地獄を分けるのか。

それを指し示してくれる「地獄の法」は、「姿を変えた『救世の法』である」、と言われています。

「地獄」というと怖くなってしまう方もいるかもしれませんが、予習しておくに越したことはありませんよね。笑

転ばぬ先の杖として、みなさんとぜひ学んでおきたいお話ばかりです。

この記事では、第1章「地獄入門」のポイントをご紹介していこうと思います!


仏陀が考える「天国・地獄を分けるもの」とは

大川隆法先生は、仏陀のお考えを紹介しながら、「天国・地獄を分けるもの」を、次のように説かれています。

人が天国に行くか、地獄に行くかということは、その人の心と行いによるのだ。思いと行いによって、決まるのだ」ということです。(中略)

この行いのことを「業(ごう)」といいます。

カルマ」という言い方もあるのですけれども、「この世に生まれて何を考え、何をしたかということで、その人自身の業というものが決まってくるのだ。カルマというのが決まって、そのカルマが来世を決定するのだ」―これは仏教の基本です。

これで、「天国・地獄へ行くのは、自分の思いと行いによって決まることなのだ」ということを言っている。

さらに、天国・地獄を分ける原則として、仏教の「阿含経」をもとに、次のように説かれています。

石は池の底に沈み、油は池に浮く」――。

そのように、「よい思いと行いを持って生きた人は、別に天国にいくのは当たり前に行ってしまう。けれども、この世で犯罪を犯したり、あるいは悪いことばかり考えてやった人たちは、“池の底”に沈む」ということです。

つまり、よい思いと行いをもって生きた方は天国へ行き、悪い思いと行いをもって生きた方は地獄へ行く。

実にシンプルで当たり前の答えではありますが、現代人が忘れてはならない、基本中の基本になりそうです。


この世での罪は死後どう裁かれるのか

この世で悪い思い・行いをした人が地獄へ赴く、と教えていただいていますが、実際のところはどうなのか、気になりますよね。

死後にどのように罪が裁かれるのかは、次のように説かれています。

天国・地獄がある理由には、もう一つは、「この世の法律の網を抜けて、うまいことやったと思っている人でも、あの世の網は越えられない」ということがあるわけです。(中略)

この世で殺人をやったとしても、自分は見つからなかったということで、「逃げのびた。助かった。この世ではちゃんと名誉ある職業で終えた」と思っていても、あの世では、必ず閻魔様はいて、閻魔様の前でその罪業は暴かれるということです。

照魔の鏡」という昔ながらのものがありますけど、今であれば、照魔の鏡というよりは映画のスクリーンとかテレビのスクリーンとかDVDとか、そんなものになるかもしれません。

その人の人生のトピックスをババババババッと映し出して、自分で見て反省させ、「おまえ、こういう人間をお前ならどう思うか」と訊かれます。

そのためのエビデンス(証拠)を出されるのです。

そして、陪審員ではないのですが、ほかに親類縁者とか友達とか、亡くなった方が来ていて、みんなの意見もありますけれども、自分が「だいたい、これは地獄かな」と思うところまではいちおう見せます。

そして、「地獄巡り」が始まるということです。

そういうことが起きるわけです。

だから、この世の法の網をかいくぐって、例えば、「刑法に引っ掛からなかったから」と言っても駄目なのです。(中略)

法律で裁けなかったものも、あの世では裁けるのです。

法で裁けなかった罪もあの世ではしっかり記録に録られており、閻魔様に裁かれるということです……!

昔話でよく聞く、人の一生を映し出すという「照魔の鏡」的な存在や、「嘘つきは閻魔様に舌を引っこ抜かれる」などの言い伝えは、あながち間違ってはいなそうです……。

象徴的には、「閻魔様」「閻魔大王」あるいは「鬼たち」です。

赤鬼・青鬼に当たるもの、これを昔話とみんな思っていたけれども、最近の「赤鬼の霊言」等で、「実際に実在する」ということがもう出てきていますので、「いる」ということです。(中略)

おそらくは、罪人の目にはそれは赤鬼・青鬼に見えているかもしれないけれども、別の人からみたら全然違うように見えているかもしれません。

鬼が検察官に見えていたり、閻魔大王が裁判官に見えていたりするかもしれません。

地獄ではその人の心によって、違うように世界が見えるそうです。

罪人から見たら地獄の「鬼」のように見える存在も、役割として存在するわけで、現代風な視点に翻訳されると、検察官や裁判官のような存在に見えるのかもしれません。

いずれにせよ、悪に対して必ず裁きは下りますし、悪を裁く鬼のような役割の方も存在するということですね。


唯物論に染まった現代人はあの世に還れず地縛霊になることが多い

さらに、最近では、「あの世の『地獄』だけでなく、『この世に留まっている』という形での『地獄』もある、と説かれています。

「この世の世界を離れて、死後、天上界と地獄界というまったく違う空間があって、そこに行く」というように理解している方も多いと思うのですが、現代人には、ものすごく唯物論的な科学的思考というか、そういうものがもう蔓延していますし、学問でそういう教育を受けているので、あの世がないと思っている人がものすごく多いのです。

あの世がないと思っている人にとっては、地獄もないし天国もないのです。
だから、死後、行くところがないのです。

行くところがないので、この現象界といわれる三次元の世界しか、もう、いる場所がないのです。(中略)

これも一種の「地獄」と見ていいだろうと思うのです。

地獄界という世界だけが独立してあるのではありません。

お裁きを受けた上で行く人たちが地獄界にいますけれども、「死んでいるということ自体が自覚できないでこの世にまだいる人たちも、ある種の地獄界にいるのだ」というふうに理解した方がいいし、そういう人がとても多いのです。

そして、地縛霊になって、自殺したホテルだとか学校だとか踏切だとか、そんなような所に取り憑いたり、あるいは交通事故で自分を轢いた人に取り憑いたり、そんなことをして悪さをする人もいっぱいいます。

せっかく生きたのに、成れの果てが踏切の地縛霊とか、そんな悲しすぎる未来は避けたいものです。

実際に自殺者の遺族の方もいらっしゃると思うので、あまり失礼な言い方はしたくないのですが、もし「死んだら楽になれる」という気持ちで命を絶ってしまった場合、それは大いなる誤算かもしれません。

彼らだって一生懸命頑張っていたけれど挫折し、生きることを諦めてしまったのでしょう。

ただ、「死んだら終わり」だと思って命を絶ったのに、実際には死後の世界が続いていた……となったら大変な事態ですよね。

(※自殺した方でも、死後の世界への理解があったり、導きの天使のお話を素直に聞けた方は、あの世に移行できることもあるそうです)

自分が死んだことに気付かずに、死んだ場所で地縛霊となってしまうのも嫌ですし、他の人を不幸に巻き込んで憂さ晴らしする存在に成り下がるのも嫌なものです。

できればスッキリと未練なくあの世へ旅立ちたいですし、「死んだらあの世があり、自分の心境に応じて行先が天国・地獄に分かれる」くらいのことは知っておきたいものです。

万が一、ご家族に自殺してしまった方がいる場合には、生きている家族が「死んでも終わりじゃないよ!正しい方向に導かれますように」と祈ることで、相手にも導きの光が来ることがありますので、関係者の方はより勉強をしていくことをおすすめさせていただきたいと思います。


この記事が皆さんの転ばぬ先の杖となりましたら、この上ない光栄です!

それでは今回はここまで。

次回以降も「地獄の法」特集は続きます。

怖がらずに、ぜひ学んでおくことをおすすめします♪笑

ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました!


☆「地獄の法」には、記事内でご紹介しきれないほど沢山の論点が説かれています。

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