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「言葉に泣く」(大川隆法「心の指針」より)
いつも記事に目をとめてくださり、本当にありがとうございます。
私の記事では、大川隆法先生の法話・著書の中から、おすすめの作品を紹介しています。
今回は、心の指針「言葉に泣く」をご紹介したいと思います!
大川隆法先生は、毎月、「心の指針」という詩を月刊誌に寄稿してくださっていたのですが、シンプルな言葉の中に深い味わいがあり、読むたびに心の気づきが得られる作品ばかりなんです。
皆さんにもぜひ、「心の指針」の世界を味わっていただきたく、時々ご紹介させていただいております。
それでは、今日も皆さんへ、感謝の気持ちを込めて、贈ります。
「言葉に泣く」
![](https://assets.st-note.com/img/1721969005965-5uS6aDuCdo.jpg?width=1200)
思えば、
私の悟りの修練は、
言葉から始まった。
自らの思いの完全なる統制下に、
「言葉」を置くことは難しかった。
愛する人に、愛していると告げることができず、
憎まれ口や皮肉を口走ったことも多かった。
若気の至り、と言いのがれるには、
後悔の方が深かった。
「その一言に泣く」ということが、
何と多かったことだろう。
この自由にならない、
小憎らしい「言葉」に、
何度自分を責めたことか。
友人や仲間、
道の友、伴侶。
彼らが去っていく後ろ姿を眺めるのは、
とてもつらいものだった。
自分が鉄面皮(てつめんひ)で、
冷血漢(れいけっかん)のように思えた。
自分の悟りが、
この世的常識や力に勝てないことに、
悔し涙を流したこともあった。
成功して、有名になってからは、
批判の雨しぶきを浴びることも多くなった。
私の悪口を言い、かつ、書いて、
収入となり、家族が食べていける人が出てきたのか。
それも良かろう。
首筋の雨だれをそっとぬぐって、
サイの角の如く、
森の中を、ただ歩むのみだ。
(大川隆法「心の指針152」)
【感想・気づき】
![](https://assets.st-note.com/img/1721968859513-v0vgoAXEUO.jpg?width=1200)
自分が不要意に発した言葉で、相手を傷つけてしまい、その結果、自分を責めたくなる。
そんな経験のある方も多いのではないでしょうか。
その一言さえ言わなければ、そこまで関係がこじれることはなかったのに……!
と悔やまれるような経験もあるかもしれません。
特に、頭の回転が速く、口が立つ人の場合、自分ではそんなつもりがなかったとしても、相手の至らない点をずけずけと指摘しすぎてしまうことがあるかもしれません。
この言葉の調律に悩む方も多く、心のコントロールの大切さを感じます。
カッとなり、感情のままに言葉を発してしまいそうになる時。
大きく深呼吸して2,3秒数えるだけで思いとどまれるときもあるかもしれません。
深呼吸をしている間にその言葉を発してしまった時に、相手がどんな気持ちになるだろう?と思いを馳せ、ブレーキを踏むことができたら大したものだと思います。
私自身も、余計な一言を言ってしまうことが多く、悩んだ時期もありました。
人間関係のもつれのほとんどは、この「言葉」によるところが多いです。
相手の気に障ることを言わないようにする、というよりは、
どのような言葉を言うと人は傷つくのか、
相手によくなってほしい時、どのような言葉をかけるのが適切なのか。
この辺りの深め方が大切になってくる気がします。
人にかける言葉がどうしてもうまく行かないということは、相手の気持ちを慮ることが苦手、ということなので、
「自分が相手だったとして、その言葉を言われたらどのように感じるか。」
ひたすら、相手の立場に立って考える癖をつける、という解決方法があると思います。
そして、実はこの「人の気持ちが分かるようになる」のに一番有効なのが、人の心について考えること。
若き日の大川先生が、「つい言いすぎてしまう」言葉について悩まれ、そこから心を見つめる修練に入って行った、というのも納得です。
心の修練を積むことによって、自らの発する言葉への客観的な見え方を考えたり、冷静な発言力を身につけられたら、素晴らしいことです。
自分の完全なる統制下に自分の「言葉」を置くことが出来るのは、きっと宗教家などの聖人。それこそこの世で「免許皆伝」となりそうです。
しかし、そうもいかないのが私たち人間というもの。
やはり毎日毎日、自分の言葉で人を傷つけることはなかったかを反省し、至らなかったな、と思ったら、相手に素直に謝るのが一番な気がします。
どうしてもけんか別れしてしまった相手に対しては、心のなかで「ごめんなさい」と謝るだけでも、だいぶスッキリするものですよ。
それから、私たちの多くには経験のない話ですが、
有名になってくると、不特定多数からの悪口に苦しむこともあります。
芸能人が週刊誌などで揶揄されているのも、一部は言葉の暴力にあたるものかもしれません。
私たちでいえば、SNS上で不特定多数からのネガティブコメントが来ると、心身共に疲れてしまうことがありますね。
たとえ顔が見えなくとも、いや、顔が見えないからこそ、言ってはならない言葉の暴力というものはあると思います。
ネット全盛のこんな時代だからこそ、その一言が相手を不用意に傷つけていないか、考えていきたいものです。
何事も、まずは気づいた人から、一歩を踏み出すことが大事です。
私も、日常生活や、noteやX上で、不用意な発言で人を傷つけていないか、日々チェックしていこうと思います。
「言葉」によって人を幸福にも不幸にもすることができる。
「言葉」とは大きなパワーを秘めており、正しく使うことで、大きな武器となる。
その事を理解しながら、「言葉」の力を磨き、「善き言葉」を発し続けていきたいです。
皆さんも、気づいた今日から、一緒に「言葉」に向き合ってみませんか?
今回の拙い感想はここまで。
最後までご覧くださり、誠にありがとうございました🌷
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