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「愛と何か」(大川隆法著『太陽の法』ポイント解説⑫)

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

現在、大川隆法著「太陽の法」のポイント解説に挑戦しています!

2024年、「何か一冊オススメ書籍は?」と訊かれたら、間違いなく『太陽の法』をおすすめさせていただきたいです。




「太陽の法」

(引用:公式サイト

『太陽の法』は幸福の科学の基本書かつ最重要経典です。

大川隆法先生は、1986年7月に大手総合商社を退社・独立後、わずか19日間で、自動書記にて、この『太陽の法』を書き上げたと言われています。

(自動書記とは、天上界の啓示を受けて、ひとりでに文章を綴っていくような状態です。)

つまり、この『太陽の法』こそが、華々しい経歴を誇ってきた大川隆法先生が、学歴や出世街道など、約束されたエリートとしての未来全てを投げ捨ててでも書きたかった、真理の一書、ということになります。

以後、『太陽の法』は当会の根本経典として、30年以上もの間、人々の心を潤し続け、世界23言語で発刊の大ベストセラーとなっています!

人類の永遠の疑問への答えを明確に説き明かした「太陽の法」。
その魅力の一端なりとも、このnoteにてご紹介できれば、この上なく光栄です。

この一冊と出逢うために、あなたは生まれてきた―。

その言葉の意味を噛みしめながら、このnoteで出会ったすべての皆さまに、愛をこめて、『太陽の法』との出会いを贈ります。

第12回目となる今回は、『太陽の法』第3章「愛の大河」から、第1
節「愛とは何か」第2節「愛の存在」
をご紹介します。


「愛とは何か」

人間として生きてゆく人生の過程において、もっとも大切なもの、いちばん輝かしいもの、それは、やはり愛なのではないでしょうか。

人々は、愛という言葉に、その響きに、魅せられてしまいます。

愛という言葉には夢があります。

愛という言葉には情熱があります。

愛という言葉にはロマンがあります。


たとえば、今日一日という日が、あなたに残されたすべての時間だとしましょう。

そして、夕べには死すべき運命であったとしても、だれかに愛をささやかれたら、すべての人間は、幸福の微笑を浮かべて、死へと旅立ってゆくことができるでしょう。

愛なき人生とは、疲れはてながらも、砂漠を歩む旅人の人生だといえます。

一方、愛ある人生とは、道ゆく砂漠のなかに、そのところどころに、オアシスがあり、花が咲いている人生です。


ところで、愛とは、なんなのでしょうか。

一体何びとが、正確に愛を定義しえたでしょうか。

文学者ですか。

それとも、詩人ですか。

あるいは、哲学者でしょうか。

結局のところ、やはり宗教家でしょうか。


愛をどこまでつかめるか。

愛の本質をどこまで洞察しえるか。

これは、人類に与えられたひとつの課題です。

ひとつの問題です。

そして、それは、ひとつのよろこびであり、ひとつの幸福であり、ひとつの悩みであり、ひとつの苦しみでもあります。

大川隆法著『太陽の法』

人間として生きていく上で、もっとも大切なものは、愛です。

たとえ今日の夕べに死すべき運命であったとしても、誰かに愛をささやかれたら、幸福の微笑みを浮かべて死へと旅立っていける。

本当にその通りだと思います。

砂漠のなかの一輪の花。
オアシスのような存在。

それが愛であり、愛なき人生は不毛です。


愛は両極端です。

すなわち、本物の愛は最高の幸せをもたらし、偽物の愛は、最大の不幸をもたらします

愛は、人生のよろこびの大半であり、また、それを誤解した場合には人生の苦しみの大半でもあります。


愛の本質をつかみ、愛を自分の思うがままにあやつりながら、最大の幸福をめざしてゆく。

その方向には、ひと筋の光明がさし来たっているかに見えます。

その行く手には、神が、笑顔で、大きく手をひろげて待っておられるようにも思えます。

大川隆法著『太陽の法』

人は愛によって最高の喜びを見いだし、愛によって最大に苦しみます。

大好きな人と一緒になれたら最高に嬉しいし、失ったり、別れざるを得なくなった時には、最大の苦しみを感じるでしょう。

こんなにも自分の人生を左右するものは、愛以外他にないかもしれません。

それだけ奥深い存在である愛。

つまり、愛とは何かを学ぶことが、神への道を歩むことなのだと思います。


八正道+愛の研究


それは、おそらく現代人にとって望まれる修行の姿であり、現代人に対する福音ともなるはずです。

ですから、私は、これから愛について多くを語ってみようと思います。

話は「愛」という定点からとらえた人生観、世界観、真理観となっていくはずです。

大川隆法著『太陽の法』

そこで、大川隆法先生の教えは、前回お伝えした八正道+愛の研究へと進んで行きます。

どちらも人生の真理を掴む上では大切な要素ですね。

(※八正道については前記事を参考になさってみてください↓↓)


「愛の存在」

人々は、愛について考える機会がたくさんあります。

しかし、愛そのものを見たという人は、ひとりもおりません

愛とは、それを手にとって見ることができないし、これが愛ですと取り出して、人に見せることもできないものだからです。

しかし、愛は、確かに存在するものです

人間は、愛の存在を信じております。

愛の存在―だれが見ても、これこそが愛だという確かなるもの、それを求めて、人間のあてどない永遠の旅ははじまるのです。

だれもがその目で見たことがなく、だれもがその手で触れたことがない愛。

愛とは、やはり幻であり、蜃気楼にしかすぎないのでしょうか。

大川隆法著『太陽の法』

愛、手に取ってみたことはないけれど、誰かに愛されていること。誰かを愛している自分がいることは感じますよね。

目に見えず、手で触れたことはないけれど、恋人の愛や、親子の愛が存在するという実感は、誰もが持っていると思います。

しかし、考えてもごらんなさい。

人間は、どれだけ、目に見えず、手に触れることもできない存在を信じているかを。

たとえば、

あなたがたは、風そのものの存在を目で見て、確かめることができません

とはいえ、木の葉が舞いあがり、木々がざわめくとき、あなたがたは、風の存在を信じます。

あなたがたの肌に触れるので、そのやさしさを、その冷たさを、その力強さを、知っています。

これが「風」だと表現することはできます。

ただし、その風をとらえて、箱のなかに入れて、そこから取り出して人に見せるわけにはいきません。

風🥰✨

風は目で見たことはないけれど、確かに私たちの頬を撫でていく存在です。

風は箱の中から取り出して、存在を証明することはできないけれど、誰もがその存在を知っているものです。


愛とは、すなわち、風のようなものです。

だれもがその存在を信じ、それが存在するという感覚を共有しながらも、それを客観的に証明してみせるわけにはいかないのです。

あなたがたは、愛の存在を証明することはできません。

しかし、愛の臨在を感じることはできるのです。


これが愛だと取り出してみることはできなくても、そこに愛があるということを感じとることはできるのです。

大川隆法『太陽の法』

愛とはすなち、風のようなもの。

姿形は見えないのに、確実に存在を感じられるものです。

たとえば、noteでの文章のやり取りだって、姿こそ見えませんが、その先に特定の人がおり、愛情を感じることがあると思います。

私も、目には見えないけど、直接会ったことないけど、愛されてるな🥰とか、愛しいな💖と感じることができて幸せです。


愛とはなんと神によく似た存在でしょうか。

神について、いままで、多くの人が語り、多くの人が信じてきたにもかかわらず、これが神ですという具合に、それを取り出して見せることは、だれにもできませんでした。

かつて、たくさんの偉人が神について、宗教、哲学、詩、文学においてあれだけ語りながらも、だれひとりとして、神の存在証明を提示することはできませんでした。

あのイエス・キリストでさえ、人々に、神の姿を見せることができなかった。

天なる父を、この方をごらんなさいと、人に示すことはできなかったのです。

「私の言葉を聞く者は、私の天なる父の言葉を聞く者である。父が、われに来て、いま、語っておられるからである。

私の業を見る者は、私の天なる父の御業を見るに同じである。

父が、私にこの業をなさしめているからである。」

と、イエスは、いつも語っていました。

つまり、イエスは、自分が語り、自分が行ったことを通して、神を感じ取りなさいと、つねに、教えておられたのです。

ですから、人々は、彼の権威ある言葉を聞き、そこに神を感じ、彼に帰依したのです。

そうなんです。

目には見えないですし、
「これがそうです」と取り出して見せることはできないのに、
そこに「愛」が存在するように、

「神」もまた、目には見えないけれど、存在するものなんです。

人間にとって、いちばん重要なものは、かえって存在証明になじまないものが数多くあるのです。

いつの時代においても、そうです。

いつの時代でも、いちばん大切なものは、その存在を証明できないことのほうが多いのです。



神ー愛ー勇気ー叡智ー善ー優しさー美ー調和ー進歩ー慈悲ー真理ー真心ー無私


これらはすべて、宇宙に満ち満ちている実在であり、光の世界においては、これらの言葉を知らない方はひとりもおりません。

しかし、この地上では、だれひとりとして、そうしたものが、確かなる存在だと証明することができないのです。

確かに、神、愛、勇気、善などは大切なワードであるにもかかわらず、見たことがないですね。

勇気ってどんな色してるんだろう?

っていう話にもなかなかなりません🥰笑

本当に大切なものは、この三次元世界では見えないものなのかもしれません。


イエスは言いました。

神は愛なり」と。

「神は、その存在を証明しうるべきものではない。

あえて、神に似ているものを上げよと言うならば、それは、愛である。

愛は、その存在を何びとも証明しえないではないか。

何びとも証明しえないにもかかわらず、人々は愛のすばらしさを知っているではないか。

愛のよさを知っているではないか。

そして、愛を手に入れんと努力し、その愛の力を信じているではないか。


信仰とは、そうしたものである。

愛の存在を信じる者は、神の存在を信じよ。

愛の力を信ずる者には、神の力を信ぜよ。

なぜならば、神は、愛だからである。

大川隆法『太陽の法』


神の存在は高次元すぎて、この三次元世界で証明することは不可能だけれど、あえて神に似ているものをあげるとするならば、「愛」。

目に見えないけれど、「愛」の素晴らしさを知っている私たちであれば、「神」の存在も信じられるはずなんです。


信仰とは、「信じて仰ぎ見る」ということ。

神の存在を感じ取り、受け入れるという意味になります。

そして、仰ぎ見るとは、おおいなるものに敬意をはらい、自らをむなしくする、ということ。


愛を知る者は、神を知る。

神を知るものは、信仰とは何かを知る。


日本人的には「信仰」と言う言葉は西洋のキリスト教圏よりも馴染みが薄いかもしれませんが、本当は、ごく単純な事なのだと思います。


人を愛するとき、その魂のなかに永遠なるものを感じます。

信仰とは、愛を感じるのと同じように、神を感じて、仰ぎ見れば良いだけなのでしょう。


とっても簡単なことですから、ぜひ考えてみて下さいね🌷


〈まとめ〉

いかがでしたでしょうか?

今回のポイントをまとめておきます☆彡

  • 「愛」とは、人間として生きていく上で、最も大切なもの

  • 本物の愛は最高の幸せをもたらし、偽物の愛は、最大の不幸をもたらします

  • 愛は、愛そのものを見たという人は、ひとりもいないが、確かに存在する

  • 神は愛。愛の存在を信じる者は、神の存在を信じられる。


砂漠ののなかのオアシス。一輪の花のような存在に、私もなりたいです🌷

愛をお伝えできるよう、これからも頑張ってまいります🥰


最後までお読み下さり、誠にありがとうございました!



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