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苦しみのもとは思考や感情、身体などを自分と同一視していること

心の働きであるエゴは、「私は○○だ」と思わせるのが得意です。

私は○○という名前で、私は何月何日に生まれて、私は〇〇な性格で、私は○○をした・・・。

なぜなら、エゴはこれをしないと生きていけないからです。ここにはエゴの生存がかかっています。

実際、この作業を私たちは頭の中で、1分間に何度もくりかえしています。これが私たちの当たり前です。

自分のことを、私は○○な人だと考えることは、一見よさそうですが、問題はこの私は○○だと考える習慣(I thoguht)によって、私たちは苦しみつづけるということです。

思考や感情、感覚、身体などを自分と同一視してしまう。

私たちは無意識にやっているので、あるいは、実感がないかもしれません。

瞑想は、これを解体する一つの方法です。

瞑想や自分のことを自分でみる観察によって、私は思考ではない、私は感情ではない、私は身体ではないというのを確かめていきます。

思考や感情は、私のところにやってきて、必ず去っていくもの。

身体は、私の意志に反して、どんな時も働いている。私がそれを止めることはできない。

最後に残るものは意識。

同一化が終わったあとに残るもの、それは意識です。

私とは意識である。

言葉より前にあるもの。

エックハルト・トールのいう、大いなる存在。

そこに自分の注意を向けつづけると、思考や感覚、感情は流れ去るということを実感します。

言葉で表現すると、限界があって頭だけの理解になりがちですが、このことを体を使って実際に自分でやってみると、気づきが訪れます。


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