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「公務員を辞めて、実家の呉服屋を継ぐ」 お蚕さんのはなし。

今日、呉服屋店主の父と話していて、蚕の話になりました。

「着物は蚕の繭からできている」というのはぼんやり分かっているけど、詳しくは知らないなぁということで、色々調べてみました!٩( 'ω' )و


着物一反を作るために必要な繭(まゆ)の数は約2,600粒。

これが生糸になると約900g、

そして一反(約680g)の着物になるそうです。

①卵から孵化したばかりの蚕は体調3mmほどの小さな幼虫で、やく25日の間に脱皮を4回繰り返し、1万倍の重さに成長。

②桑の葉を食べなくなり、体が透き通るように変化した蚕は、サナギになるために繭を作る。(繭になったら12日間でサナギになる!)

③この繭の状態から、約1ヶ月間乾燥させ(時期は5月〜9月)、透き通っているかどうか選別され、

④繭をほぐすために煮て、表面から糸口を探し出し、いくつかの繭の糸口をよりながらまとめていき、目的の太さ・長さにしていく(操糸というそうです)(操糸は昭和初期までは手作業で行われていた!)、

⑤操糸で引っ張っていた生糸を元の状態に戻して、強さ・光沢・柔軟性・風合いなどを整えるために湿度70%〜80%に調整された場所で一晩寝かす。

こうして作られた生糸の多くは製糸工場から出荷され、織物などのシルク製品になっていく…


絹(シルク)ってすごーい!


歴史も気になったので調べてみました。٩( 'ω' )و


もともとは、紀元前3000年頃の中国で絹の生産が始まり、それがインド、ペルシア方面に輸出され、(これがいわゆるシルクロード!)

古代ローマでも絹は上級階級の衣服として好まれ、金と同じくらいの価値があるとまで言われており、そのうち絹製の衣服の着用が禁止されるまでに…(日本でも、”着物は贅沢品だー!”と一般の人の着用を禁止した歴史がありますものね。大島紬はその時に着物を取られまいとして泥に隠したことが起源だと言われています。)

そして、ヨーロッパへ。

日本には弥生時代にはすでに養蚕と絹の製法は伝わっていたそう。ただ、品質は中国に及ばず、主に真綿に用いていたそう。中国の絹の需要が高まり、江戸時代には幕府が独占販売を試みるが、それを屈せず、いろんな藩が養蚕や絹織物産業に力を入れた。そうしてようやく中国絹の輸入規制が行われ、日本の絹の品質もどんどん高くなっていった。

1909年、日本の生糸生産量は清を上回って世界最高に!
(社会の授業で習ったあの”富岡製糸場”は1872年に設立された日本初の本格的な製糸工場。ここにつながるのか!)

1929年、世界恐慌で世界的に生糸の価格が暴落

第二次世界大戦中は、欧米で絹の価格が高騰!(日本や中国などとの貿易が途絶えたから)

戦後、絹生産は衰退

現在は中国からの輸入に頼っている

1998年の統計では、日本は世界第5位の生産高。中国・インド・ブラジルの上位3カ国で全世界の生産の9割を占めている。4位はウズベキスタン。市場に提供する絹糸を製造する製糸工場は国内では2社となっている。

2018年の世界の絹生産は中国が圧倒的1位、そして、インド、ウズベキスタンとほぼ変わらず。

んん…!

調べていくとどんどんハマっていきますね(笑)


衣服の他の素材についての知識はありませんが…着物一反作るのに大変な手間と人手と、そして歴史があるんだなぁということをしみじみ感じました!

綿や麻のことも気になってきたぞ!笑


今日も読んでくださり、ありがとうございました(^^)

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