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明治〜昭和の着物の変化

みなさん、こんにちは!着物についての疑問を調べて記事にしている「着物初心者の呉服屋の娘」です。

今回は、明治〜昭和の着物の変化についてです!٩( 'ω' )و

明治初期の着物の模様はかなり地味だったようですが、日清戦争(明治27年)、日露戦争(明治37年)での勝利や、第一次世界大戦が日本に軍需景気をもたらした背景から、この世相の明るさが、着物の模様や色、技術や素材にも影響し、いわゆる”大正ロマン”と呼ばれる特徴ができました。

軍需景気の影響って大きいですね…!

そして、ここから一気に日本の生活が変わっていきます。

明治30年(1897年)の女子の小学校の就学率は50%だったのか、明治45年・大正元年(1912年)には98%になり、大都市が今のような暮らし”モダン都市”になっていきました。

電気照明、自動車、飛行機などの新しい交通機関、電信電話による高速通信、ラジオ、映画などの新しいエンターテイメントは登場。こもモダン都市は国内だけのみならず、今のように世界と同時的に情報が繋がれていました。

この頃、世界的なものとなったパリ・ファッション、特にココ・シャネルが人気を集めており、パリコレが開催されるようになり、パリで発表されたモードが、日本にも伝わっていきました。

大正12年(1923年)に起こった関東大震災。

これもモダンな生活様式も後押しに。震災後に建てられたのは洋風モダンな住宅が多く、畳に座る生活から椅子にかける生活へと変化していったことから服装が一気に洋装化していきました。

そして、女学校でも制服が洋装化。そうして世間でも洋服を着たいという雰囲気が広まりました。

呉服店はデパートへ。

私、知らなかったんですが、百貨店の元は呉服店だったそうでね!٩( 'ω' )و

高島屋さんを例にとると、元々は「飯田呉服店」でした。大正8年(1919年)に株式会社高島屋呉服店。11年後の昭和5年(1930年)には株式会社高島屋となります。

この11年で呉服の取扱量が激減。

この頃に呉服に携わっていた人や職人の方達は、負けじと色んな技術やデザインのものを生み出し、着物のバラエティーが一気に広がりました。

しかし、昭和7年に満州事変、五一五事件が起こると日本は戦争モードに。

昭和13年(1938年)に米、砂糖を初め、衣服まで配給となった状況では、手間をかけてものを作るということはできなくなりました。


昭和19年、終戦の前年は、大日本婦人会が

「決戦です。すぐお袖を切ってください」

と書かれたカードをくばって、長袖追放運動を始めたそうです。これによって着物姿は街から消えることになりました。


う〜ん。生活様式の変化、情報網の拡大、戦争。これだけのことがあれば、着物だって変化していきますよね。

それでも、2021年の今、着物を着ている人はいます。

一度戦争で消えてしまった着物。

この後何があったのでしょうか!

次回に続きます!٩( 'ω' )و

今回も読んでくださり、ありがとうございます!


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