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「光は東方より、贅沢は西方より」


これは、昨年2019年11月末、タイと日本の訪問を終え

帰国の途についたローマ教皇フランシスコの西洋社会が東洋から

学ぶものはあるか?と言う質問に答えた一文。


 東方には知恵がある、それは知識ばかりの知恵だけでなく、時間や観想の知恵であり、常に急いでる西洋社会に対し、立ち止まり物事を詩的に見ることを教えてくれる。


そう言われたそう。

印象的な言葉で、、

こう、貿易の仕事をしてると余計に思う。

ランジェリーと言う洋服の下の贅沢品を持ってきてる身分としては

考え深い。


こうして、ほぼ毎日新しい発想を記すにも

インスピレーションを起こすのは決まってプロセス、歴史に関係するものと

自分の経験を混ぜて紐解く頭の作業があるから。


ローマ教皇に関しての話はこう言う場面であまり宗教概念を話すのは

良いと思わないから割愛しますが、、

日本の豪華主義ではない「侘び寂び」など日本文化は

西洋の人には刺激だったろうと思う。僕が全く逆で

日本も発展するには、西洋のような豪華さや贅沢も

必要だと考えるからだ。


ベースに根付いてる文化があるから、絶対西と東は同じにはならないから。


しかしながら、これが大体12月でしょ?

まさか3ヶ月後にこんなパンデミックな世の中、

誰も想像できない。


皮肉な事にも、新しいものが東から来て西方、ヨーロッパを

食い殺してる世界地図。

東の人間は、新しいものを作るからこその責任を考える義務だって

必要なのだから。

今回の災難が天災なのか人災なのか?

はっきり分からないうちは何ともですが。。。


毎回話す度にコロナのニュース見過ぎてるからコロナの話に

なっちゃう自分がつまらない^^;


違う話をしましょう。


ローマ帝国の話。

最近見た、天皇の料理番。

良かったですね〜、佐藤健さんの芝居が良かった。

僕は明治時代の文化が大好きで、、、

日本は

江戸後期→ヨーロッパ

明治→ヨーロッパ

大正→ヨーロッパーアメリカ

昭和→アメリカ

平成→アメリカ

令和→???

ヨーロッパ文化は物質文化なんです、ものの良さに触れ嗜む

欧米文化は消費文化です、完全に消費財としてのモノを考える。

ファッション詳しい方ならお分かりなところ、

VOGUE(ヴォーグ)と言う雑誌。

プラダを着た悪魔の映画にも登場するあの雑誌。

ファッション!と言うと、イタリア、フランスを中心にヨーロッパ文化を

思い浮かべますよね。今NYコレクションとかのが面白いとか東京は死んでいるとかそう言うのは一回抜きにして、その後にNYとか東京とかロンドンとかそのあたりです。

でも、このVOGUEと言う雑誌、世界中にありますが、元々がアメリカの雑誌なんです。

そう、近現代ファッションを握ってるのはアメリカ。

近現代アメリカファッション史の本を読み返せばもう少し忠実に欠けますが

そんな時間してるとこのログが完成するのが遅くなるので

このまま覚えてることを書き出します。

ファッションは皆さんが、中世の絵画を見ても貴族のものでした

ランジェリーもそこから発展していきますが。


男性が特に絵画を見てもめっちゃオシャレと思いませんか?

絵画って僕全然興味なかったのですが、興味を持つきっかけになったのが

当時の男性や女性が着てる服が面白くて、絵によっては素材も何となくわかるんです

それ分かると値段もわかるから、人間関係から背景とか、何でこうなったんやろか?

なんて思うとハマってしまったのです。

そう、その男性から近現代ファッションはファッションを取り上げました。

そう、イギリスイタリアのテーラードとビジネススーツは違います。

ビジネスの戦闘服として男性に会社と言うものの中で規律を作り

オシャレができる幅を縮めることで、生産性を上げ、

ファッションを女性のものとして特化して行った。



実際日本も、DCブランドなどはあったとしても大人の男が仕事とファッションを

楽しむと言うのは、正直LEONが出てきたくらいからじゃないでしょうか?

それ以前も粋な男は日本に握るくらいはいましたが一般論と言うことで、、です。


生み出す場所とコントロールする場所が離れて

さらに、1988年にVOGUEの編集長にアナウィンターが就任すると

さらに特化していき、、今がありますね。

もともと、VOGUEってSEX特集とか性的要素でウケてた雑誌だったそうです。


でも、新しいファッションを生み出すのはヨーロッパだったから

ビジネススーツが席巻してもイタリア人のスーツの着方はオシャレでしたね

ミラノとローマとナポリ。スーツの型を見ればどこの男性か

分かるくらい違いますよね。

そこがイタリアの本をミラノに住んでた時に読み漁ってたら

芯が腐ってなくて、、小さくも芯のあるビジネスを貫いて

ファッションを商用としてアメリカがどんどん使ってるのを見つつも

自分の手先を信じて培うイタリアではファッションと言いません

「MODA」 モーダ

と言います。

そりゃそうですよね、ファッションは英語ですもん。

モーダが生きてるんですよね。

イタリア人のモーダを牽引してきてる人は、ファッションって言葉

ちょっと使うと眉間にシワいくのを僕記憶として覚えてるんです。

日本人にモーダって伝わらないですよね?

しょうがないからファッション!って言うてる感じ。


だから、僕はイタリア人の事分かって、イタリア人が僕に向かって

モーダをぶつけてくれるように、頑張ろうと思った瞬間でもあります。


ちょっと頑固なイタリア人、がこれまた好きなんですね〜^^


そうだ、天皇の料理番

これを見て、料理の歴史の資料を漁ってました。

面白いですね〜料理の世界も。

フランスに行くと、大体イタリア人てバカにされるんですね

フランスとイタリアは仲悪いですからね。

イタリアとドイツも仲悪いんですけどね^^;

サッカーのナショナル試合の時はバチバチです

でも、イタリア人はフランス人もバカにしてます。

「あいつらにご飯の食べ方を教えたのは俺らだ。」

それまでは、手で食べその辺で用をたす。

風呂の入り方も教えたのは俺らだ。。。


何となくは知ってたんですけどね、

フォークはイタリアからきてますしね。

それまでのフランス料理は郷土の料理、フランス共和国ですからね。

郷土がたくさんありますよね、それぞれの郷土、、、

イタリアも、イタリアで、誰もさっきのMODAじゃないけど

イタリア料理って言わない。地方の名前を言います。

郷土料理の集合体です。

それをコース仕立てにしてイタリア料理としてヌーベルキュジーヌが出来た。

フランスは、お皿もなくてテーブルの上にのせ、テーブルのくぼんば場所にスープを入れて手で食べてた。

それを、エスコフィエと言う人が高級志向のフレンチや組合を作り

料理文化を確立したそうな。

そのエスコフィエに習ってたのが天皇の料理番の秋山氏

だったり、上野とかにある老舗洋食にいらっしゃったシェフだったりする。

日本の西欧料理って結構実は本流で古くから土着してるんだ〜と。


イタリア料理はすごい遅いですよ。昭和の初めです。

3人のイタリア人が本物のイタリア料理を日本に持ってきました。

そのうちの1人の娘は僕の父の友人で神戸のドンナロイヤと言うお店

もう1人は東京の青山の近く、高樹町にあるアントニオを作ったアントニオさん

この辺りは日本のイタリア料理の始まりではないかと。。

そのあとに、キャンティとかが来る、、


フレンチの方が早かったんだ〜と色々資料見ながら思いました。


それまで、肉、四つ足は食べない文化でしたし、

こう言う明治維新で贅沢がもたらされた東京は凄く

物質主義でオシャレだったんだろうな〜と


今は、どっちなんでしょうね?

高級店はあるけども、本当に物質の本質をもたらしてるお店、、食以外も

衣服も僕の仕事から言うとランジェリーも

アメリカの消費文化との微妙なバランスで成り立ってるのかなと。。


スタバがついに昨年?一昨年でしたっけ?

ミラノに上陸して、これからのイタリアの行く末もきになる事ですが

このコロナで新しい時代が来ると言うことは


頑張れば、何か小さな抵抗ができるのかもしれないのかと。

少し意欲に沸いてる今日この頃ですね。


あ、今日一番長かったかな。。


ご愛読ありがとうございました。


写真は東京アメリカンクラブのローストビーフです。

神戸の姉妹クラブ神戸外国人クラブは151年前に出来た

日本最古の外国人の社交場です。江戸後期から神戸は外国人が多く

またこれも1つ趣深い話なので、別の機会に。


JUN




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