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樹木希林さんと祖母のこと

女優の樹木希林さんが亡くなった。
私としては安室ちゃん引退のニュースよりもずっとショックで(安室ちゃんファンの方ごめんなさい)、近しい大切な人が居なくなってしまったような、そんなヒリヒリした喪失感がしばらく居座っている。

もちろん希林さんと直接の関わり合いは無いし、ファンと呼べるような熱狂は持っていなかった。むしろ彼女の出演作は数える程しか観てない。というか見たい作品にたまたま彼女が出演しているというパターンが殆どだった。
(彼女が見たくて鑑賞したのは『あん』『モリのいる場所』)

なのに何故こんな気持ちになるのか自分でも分からなかったけど、よくよく考えてみると希林さんは私の母方の祖母にどこか少し似ているのだった。

私の祖母は昨年他界した。
顔立ちや背格好など外見は希林さんと全く違う。ただ、シニカルな考え方や、建前を言わない自然体な人柄は希林さんと少し重なって見えた。
国語の教師だった祖母は、読書好きな人で、いつも誕生日には沢山の本と達筆な手紙を送ってくれた。
(自分や親が見過ごしてしまうような些細なエピソードを、私が後々思い出せるように送ってくれていたもの。その手紙は5歳から12歳まで続いた。)
軍人の家庭で大切に育てられたお嬢様で、最初の旦那さんには戦争で先立たれ、後に再婚した祖父との間に私の母が産まれた。
最初の夫との死別、長年に渡る母.夫の介護、息子の鬱発症&実家引きこもりなど、色々ハードな苦労を経験した人だったけど、感情的になることはあまり無く、どこか淡々とした品のある人だった。
でもいつも物事や人の本質をさりげなく見抜いていて、自分の意見をハッキリ持っている人だった。
もう祖母に会うことはできないけど、今も側にいて見守ってくれているような、そんな近しい感覚がずっとある。

希林さんの歯に衣着せない率直な物言いや、清濁合わせ呑みながらも淡々とした佇まいは、そんな祖母とどこか重なって、無意識に親近感を持っていたのかもしれない。どうしても他人の目が気になったり、雑念や自意識に捕われてしまう私にとっては、そういう人の存在はいつも強く.眩しく見える。

希林さんのエピソードですごく好きだったのは、内田裕也さんが警察沙汰を起こした時の『夫1人を奈落の底に落として、自分だけ保身…ということはしません』というコメント。
そんな、慈悲に満ちた愛情のある言葉を私はこれからどれだけの人に手渡せるかな。

希林さんの遺した素晴らしい映像作品をもう一度観返して、彼女の生き様や人柄を目に焼き付けておきたいと思った。

樹木希林さん、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

#コラム #エッセイ #家族 #備忘録