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前世は男なんじゃないかなって話。

ずっとずっと、女に生まれたこと自体、損してるような感覚で生きていた。

女性特有の、心も身体もホルモンも人間関係もライフイベントも、なんだか大変なことばかりに思えてくる。


なんでジェンダーのレッテルを貼られなきゃいけないんだ。わたしはたしかに女だけど。わたしはわたし。



「将来何になりたい?」って聞かれても、結婚する相手や、結婚したり出産することで、「何になりたい?」は叶わないような気もしていたの。周りの大人たちの様子で、こっそりそう感じていた。ちょっと切ない。


だからカラーで描けるわけもなく、「将来の夢」の質問は苦手だった。


大人の質問者は目をキラキラさせながら、子どもの夢の無邪気さや自由さを求めているようだった。子どものわたしはただ、質問をくれた人が納得してくれる答えを用意して、言うだけ。ただ、それだけ。


どうありたいかって聞かれたら、「強くありたい」。「男だったらもっと自由に未来を描けるのかな」「男って、いいな」。物心ついたときから、思っていた。記憶を辿ると、4歳か5歳。幼稚園年中さんだったと思う。

(どんな子どもだ、って思っちゃうけど。でも、この経験や記憶があるから、わが子たちも心の中は、大人が思うよりも、ずっとずっと大人、って思って接している。)



その想いにまっすぐに生きていたら、なんだか生きづらいなぁと思うことが、たくさん起こってきた。



好きな子ができる。その子に好かれたい。その子は「女の子らしい子」が、好きみたい。ちょっと勇ましくて、サバサバしている私のままだったら、好かれないよなぁ。


学校生活を過ごす。クラスがある。なんか合わないし苦しいけど、1年間合わせていくしかない。ペアを組んで取り組む授業がある。「好きなもの同士で2人ペアになってくださいね」。この投げかけは、怖かった。いち早く誰かに選んでもらわなければ、ひとりになってしまうから。


周りに同調しながら、にこにこして、嫌われないように程よく目立ちずぎず、みんなの好きなものや流行りを好きになり、身につけていれば、安心して生きていけるんだ。



そんな毎日を過ごす中で、もう「自分らしくいる」なんてめんどくさくて、生きづらくて、傷ついて、早々にそのスタンスはどこかに捨て去ることになる。


男に生まれたほうがよかった、って思いたいわけじゃない


ジェンダーへの偏ったイメージがあるのは私自身であったことは、今ならよく分かる。そんなに頑なにこだわらなくてもよかったはず。女か男かなんて、気にせず生きている人もたくさんいるし、「女でよかった」って思っている女性がほとんどだと思う。


インスタグラムのアンケート機能で質問したときも、「女でよかった」って思っている人が思った以上に多くってびっくりしちゃって、同時に少し安心した。みんなは、大丈夫だったんだ。でも、私にとっては日本社会のジェンダーへの考え方に違和感を覚えていて、とても重要なことだったんだよね。



女性にうまれたことを、心から誇りに思って生きたい」「来世も、女にうまれたい」と、言えることが、わたしにとっては「私が私でうまれてよかった」と思える、重要なポイントなのだ。


そしてずっと葛藤の対象であった「結婚」「出産」「育児」を経験する中で、これはもちろん変わらず、想像どおりかそれ以上に「大変」なことだけど、女性に生まれたからこその醍醐味を、やっとやっと心底感じることができるようになった。


だからこそ、世の中の女性が環境にしばられず「強さ」「自分の軸」を持って生きていけるように。自分の生きたい人生を、自分の意志で生きられるように。これからのこどもたちの生きる日本の未来が、もっともっとその世界に近づくように。


それを熱く心の中で燃やしながら、私にできることはなんだろう、って問い続けています。


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