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東京に帰りたくない話

東京に住むことに違和感を持ち続けた高校時代、周りの反応に違和感を持ち続けた大学時代、東京に帰る計画に違和感を持った就活中。「住む」って何だろう、と考え続けた私の結論を記します。


東京に住んでいた高校のとき

 毎朝満員電車に揺られ、駅の混雑をすり抜け、約1時間かけて高校に通っていた。どこに行っても人は沢山いたし、地面はコンクリか建物か整備された公園の三択で、ひたすら息が詰まる日々。本当に気が休まるのは、お洒落なカフェでもなく、公園でもなく、狭い狭い自分の部屋だけだった。

 まず地元すら好きになれなかった。確かに、繁華街まで電車で10分ぐらいの”ちょうど良い距離”だし、小中学校も病院もスーパーも家から近い。住宅街がずっと続くけれど、ちょっと歩けば大きい公園もあって東京の割に緑が豊か。だけど、都会でもないし田舎でもないこの中途半端さがどうしても気に入らなくて、23区出身の友人にはいつも”都会になり切れない田舎”と言っていた。卑下でもなんでもなく、本当にそうだと思っている。最近になって商業施設も増えて来たけど、この気持ちは変わらない。


 人が多すぎて、建物がやたら高くて、自然は作られたもの。好きになれない地元。(ついでに言うと、反抗期真っ盛りで親との仲もそんなに良くなかった)。この場所に居続けるメリットは無い。当然の帰結とも言えるが、大学は地方に出た。


大学に入って

 地方国立大学に進学したが、周りは大学周辺の地域から進学する人が多く、東京から来る人はほとんどいなかった。


 自己紹介の度に出身を聞かれるのは、まあ普通だろう。でも、「東京です」と答えると、大抵「え~!すごい!」「東京ぉ?!」「シティガールじゃん!」「なんでこんな田舎来たの?」といったリアクションが返ってくる。入学初日で自己紹介をするのが嫌になった。
 私自身東京で生まれ育ったし、友達にも同じような人が多かった。だから東京出身であることに何も特別な感情を抱いていなかった。ただの出身地であることに、他の人と変わりはない。なのに、私にだけ「すごい」という感想が返ってくる。この違和感は未だに理解できていない。


 加えて、地方出身のほとんどの学生が”地元愛”を持っていることに驚いた。地元が嫌いだから地元を出たわけじゃなかったのか。地元に愛着を持つってどういう感覚なんだろう。って言うか、東京と言ってもベッドタウンの方だから皆がイメージするような”都会”じゃないし。「地元の魅力をアピールしましょう」? 魅力なんて感じたこともない。郷土料理も特産物もこれと言って無いし、方言も無い。目立つ歴史や文化も特に無い。デコボコもなにもない、無機質で真っ平な感じ。どこに地元愛を抱けと言うのだ。
 

 大学入学直後(から今に至るまで続く)のこういった経験は、「地方と都会の違い」や「住む場所」について考えさせられる大きなきっかけとなった。そしてその力は強かった。


就活が始まって

 「出身地言いたくない問題」はそれからもずっと続いたが、そんなこんなで時は経ち、就活を意識し始めるようになった。
 周りの友達は、教員や公務員、民間就職も含めて、地元に帰りたい人が多かった。大体が「地元が好きだから」、ほんの一部は「地元は別に好きじゃないけど都会に出る気にはならない、じゃあ地元かな」といった感じ。それを聞いた私は困った。「地元に帰りたくない」=「都会に住みたくない」の私はどこに行けば良いんだろう。行きたくない場所はあっても、行きたい場所が無かった。


 就活当初はロクに調べもせず商社やメーカーを志望していたので、勤務地は必然的に東京か大阪の二択だった。あと、いくら東京が嫌いでも最も住み慣れた地は東京であるからか、”ザ・地方企業”でやっていける気はしなかった。給料だってやっぱり都会の方が高いし。
 でも、2年間燻り続けた違和感は拭えなかった。東京に住みたいなんて思ったこと無かったのに、地方都市に住む居心地の良さを十二分に感じているのに、どうして東京に帰らなきゃいけないんだろう。どうして都会に住まなきゃいけないんだろう。この違和感を消し去る”何か”を提供してくれる企業なんてあるんだろうか。私はいつだって自分の感情を無視できなかったのに!


 そんなとき、東京周辺で地震があった。たしか最大震度4ぐらい。東京の震度4なんて特に珍しいものではない。なのに、途轍もなく怖くなった。近い将来きっと起こると言われている首都直下地震、富士山の噴火、そして既に被害を蒙っているCOVID-19の流行…どんな災害がいつ来るかわからない。この人口過多の東京でそれを耐えろ、そして生き延びろというのは、余りにも過酷な話ではないか。


 私が東京に行かなければ、東京の人口は一人増えなくて済む。私はリスクばかり感じる場所に住まなくて済む。それなら、はじめから東京に住む/帰ることを選択肢に入れずに就職を考えれば良いのでは、と漸く思い至った。

 「住む」ことは「住む」だけじゃ済まない話である。職も、人間関係も、文化的機会も、将来的には教育も、大きく影響する。だからこそ、「衣食住」の中でも「住」に拘る事はそう悪いことじゃない、と思う。食事に凝る人、服の流行に敏感な人、それぞれいるように、住みたい場所をわざわざ探し出してそこに住む、というライフスタイルもアリなんじゃないか。その「住みたい場所」は、地元であっても地元と全く関係なくても構わないだろう。人生の中で、住む場所(地域)を能動的に、ポジティブに探す手続きを持ちたい。

 「住む場所はもっと自由になっていい」――今の私の結論である。

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