触れるな、簡単に〜酒に酔った走り書きの話。〜

今の私は酒に酔っているから、話半分で聞いてほしい
これはあくまでも酔った私が走り書きしたものだ
冷静になった自分がこれを見てどう思うかはわからない。

真っ暗闇の中、言葉がぽつりぽつりと氾濫していく
だんだんと形が見えてくる
その空間は、大きくなっていく
壁?天井?そんなものは今、どこにもない

知らない誰かに手を引かれて、言葉でできた夢の中を彷徨う
あ、たぶん、知っている
これはきっと悪い夢だ

「まだいくの?」
「もう少しだけ」

「まだいくの?」
「もう少し、もう少しだけ」
「どうして?」
「怖いけど、この先に何かがあるかもしれないから」

「なにもなかったら?」

「怖い」
「こわくないよ」

「そこに何がいる?」

不思議な夢の中の記憶が、ずっと身体の中に残っている。
それはまるで恋のように、
ずっと頭から、身体から、離れない。

恋の記憶は、花びらがスローモーションで舞うように
ぼんやりとした曖昧な感覚だけが脳裏に焼き付いているけれど

あの夜の記憶は、不思議なくらい鮮明に
言葉の一字一句が、あの感覚が、そのまま身体の中に残っている。

たしかにわたしにといかけられた「ことば」に誘われて
自分の中から確かに出た「言葉」
誰にも触れられたことのない場所にそっと触れられて
無防備な身体にすっと入ってきて
まっさらな心で答えた、嘘のない対話。

内緒の時間、内緒の言葉、内緒の身体。
このままどこまでも続いてしまいそうな夢は、夜明けとともに覚めたけれど
"夢から覚めた今もまだ、僕の目は覚めないままだ"

今まで感じたことのない、うっとりしてしまうような感覚。
でもこれに似た感覚は、別のどこかでなんども感じたことがある気がする。

ステージの上から向けられる眼差し、差し伸べられるしなやかな手
「君は何者にでもなれる」
そこでたしかに放たれる歌声と言葉を、まっさらな心で感じて、
眼差しを返す、手を伸ばす、すべてを音に委ねる。
たしかに触れている、ここで今繋がっている気がする。
あのライブの時の感覚ときっと似ている。

逆の立場の場合も、早く感じられるようになりたい。


この感覚は、酔いが覚めても本物だ。

(これはある素敵な夜の、ワークショップでの記憶。)

それから数日後、薄っぺらな夜の帰り道、
やはりわたしは(広義の)芸術家(とそれに著しく興味がある人)としか
酒は飲めないと思った。

たやすく触れるな。思い上がるな。
人の内側を見る気がないのに。
隠し持っている物差しの長さが全く合っていないのに。
(何も心配はしないでほしい。大したことではない。)

少しでも同じ言葉を持てる人、同じ匂いを感じる人にしか
私は心も身体も許さない。
(心はすなわち言葉。身体とは、物理的な距離のこと。)

すごく限られたものに見えるかもしれないが、
それはほんの些細なことだったりもする。誰でも芸術家たりうる。
難しいことではない。でもたしかに違うのだ。

心が、身体が、素直に触れる感覚を知ったからより感じる、
とても薄っぺらい、空から落ちたみたいな、真逆の夜。


酔いから覚めた自分がこれを見たらどう思うかは知らない。



言葉と心と身体は繋がっていて、言葉は身体から生まれるから
心が近づいている人には身体も近づく(それは特定の意味ではなく)

例えばいつか、落ち着かないとても大きなステージの前では
バンドメンバーに頭を撫でてほしいし
手を握ってほしいし、きっと抱きしめてほしい。
なんて思ったりもする。

他にもきっと、色々な人に、いろいろと。

それくらい、身体と心には境界がないな
(何度も言っておく、これは特定の意味ではない)
これがわかる人間としかお酒は飲めないな、なんて思ったり。


酔いが覚めたわたしがこの文章を見てどう思うかは、わからないけどね。


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