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平成最後に見た夢の話。〜それじゃ、よい旅を〜

平成最後の朝は、二度にわたる夢を見た。
夢の中で見た夢と、夢の中で夢から覚めた夢。

私はいつも、似たような夢を見る。
だいたい決まって家族や吹奏楽など過去にまつわる夢か、
夢らしくないリアルな仕事の夢、
たまに心の底から憧れる人(ほぼミュージシャンだ)に会えてしまう夢。

でも今回見た夢は、あまりにも鮮明で珍しい夢だった。


◆夢の中の夢

「ほらね、だから言ったじゃん。」

横たわった祖父の胸元が、かすかに動いている。
静かに動かなくなったはずの身体が、たしかに呼吸をしている。

あまりにも穏やかな顔で、しっかりとした身体で眠りについたものだから、
このまま目を覚ますのでは、と本気で信じてしまうような通夜前だった。

そこには何の疑いも違和感もなく、
あまりにも自然に夢の中の私はその事実を受け入れていた。


一瞬目が覚める。
夢の中で目が覚めたのか、現実で目が覚めたのかは
よく覚えていない。


◆二度目の夢

「ちょっと車で行ってくるわ」
いつものテイラードジャケットを着た祖父が、玄関を出て行こうとする。

「また、会いに来てね」
とっさに口をついて出た言葉はそれだった。
もう帰ってこないことはわかっている。
むしろ今ここにいること自体が、ありえないことのはずなのだから。

ホームや病院から帰る時にそうしていたように
いつも通りの握手をして、祖父はにこやかな顔をして出て行った。
彼の車の後ろには亡霊のように静かなパトカーが続いていった。

(パトカーは違うのでは?)

夢の中で自分に冷静なツッコミを入れながら、台所に戻る。
母が洗い物をしている。

「さっきね、おじいちゃんが玄関に来たんだよ。それでね、

私はテーブルに顎を乗せたまま、喋れなくなるくらいに泣いた。


泣きながら目覚めた。もう朝だった。

「みんな死んじゃった。」

それは紛れもない事実だった。

「生きてる人もいるよ。」

ぼんやりと優しい声が聞こえた。


もうすぐ元号が変わる。
平成にたくさんの素敵な人を残して、時代は次へと進む。

「私はそろそろ、この辺で降りようかしら」
「思い入れのある時代で綺麗に終わっておこうかね」
「みんながそうするなら、俺もそうしとくか」
「あんたも来なよ」

案外そんなゆるい感じで、
最近旅立った偉人たちはすっと小粋にこの船を降りたのかもしれないな、
なんて思ったりもする。

そしてその人たちはきっと、
降りた船を後ろからぐっと前に押してくれている。
残された言葉や、作品や、思い出や記憶だけ船の上に残して。

だから私たちはちゃんとそれを受け取って、
また前に進んでいかなければならない。
行く先がたとえ緩やかな滅亡に向かっていたとしても。



元号が変わったからといって世界が何か変わるわけではない。
日々はいつも通り続くし、
それぞれが、それぞれのやるべきことを続けていくだけだ。

ただ、改元を「きっかけ」として"利用する"ことは可能だと思う。

どう利用してやろうか、それはまだ考え中だ。
如何せんこのとてつもなく長い休暇は、
大好きな音楽家の作品発表に立ち会うことと、自分の音楽で大忙しなのだ。

心から愛することができる音楽家と同じ時代に生きていること、
こんなに心を動かす音楽や芸術がたくさん残され、
たくさん生まれている時代に生きていることに、
感謝しなければと思う。


……それじゃ、よい旅を


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