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能力が低い人は自分の能力が低いということに気づく能力も低い

「能力が低い人の方が自己肯定感が高い」
という実験をしたのがダニングとクルーガ
そして、実験ではその証明だけではなく
「能力が低い人は自分の能力が低いということに気づく能力も低い」
とも結論付けている。

という記事を読んだとき、妙に納得したのを今も鮮明に覚えている。
今日、そんなことを思い出した。

きっかけは、部下の一人がどうにも無責任に感じる。というところで、
その上、本人にはその自覚もなさそう。
要は、意図をもって責任を放棄しよう、とか、責任を乗せられるのなんて絶対いやだから回避しよー、とか、他のせいにしてやろー、とか、
そういうタイプではないのです。
もっというと「自責の念」を感じるタイプ

ん?
そもそも「責任感がない」と「自責の念を感じる」は、
真逆のキーワードだよね。

私がその部下に対して無責任と感じることは事実だけど、
彼女が責任感をもって取り組んでいることもまた事実。

そうやって考えていくと、
私が部下に対して無責任だと感じる部分は
私が部下が責任をもってほしいと期待している部分ということになる。

これまたややこしいことに、その部下はあまり思慮深くないので、
私が、「この部分は責任をもって動いてほしかった」
ということを伝えると
「責任をもってやってた。その部分は他の人に任せてたけど、責任がないと思ってやっていたわけではないです。」
と答える。

こちらとしては「責任を持つ範囲と思ってなかったのね」という理解の下、
「その部分も責任をもってやってね」という会話で終わる予定で話してたりする。

でも部下から
「責任をもってやっていた」
と言われると、だとするとトラブルが起きた原因はなんなんだ、という部分を掘り下げることになる。

「責任をもってやってたけど、できなかった」
みたいな不思議なことを言い出す始末。
できたできてない、という話は一切していないのに、話がすり替わろうとする瞬間にこんなに遭遇することあるか?と思うくらい。
できなかった理由として、責任感がなかった、という話は一切していない。
単純に責任感がないように感じた部分にフォーカスして話しているにもかかわらず、できたできなかった論にすり替わる。

という、すごく疲れる時間を過ごした帰り道思い出したのが
「能力が低い人は自分の能力が低いということに気づく能力も低い」
だった。


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