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Yiyun Li "Wednesday's Child" を読む

 Yiyun Liの短編 "Wednesday's Child" を読みました。

 コンデナスト社の雑誌ニューヨーカー2023.1.23号の小説コーナーからです。Wednesday's Child : storiesという新しい短編集からの抜粋らしいです。イーユン・リーは好きですね〜。記事の最後には、作者が2022年にペン/マラマッド賞を受賞したって書いてありました。おめでとうございます。

 で、なにかなーって楽しみにして読んだら、16歳になる直前の娘を自殺(しかも轢死)で亡くしたお母さんが、一人旅をしながら、自分の心と向き合っていく話でした。…重すぎる。んー、色々感想はありますよ。「デルタ株が流行り始めた頃〜」とかあって、あ、最近の話なんだな〜とか、ヨーロッパが舞台になってて、もはや中国が題材じゃないんだなーとか。重いけど最後の方はちょっと優しさがあって、そういうところは「らしいなー」と思ったり。

 でも個人的に一番印象に残った、というか怖いぐらい共感したのが、祖母と母と娘の、女三代の描写です。これは私は、前々から思っているところがあります。
 この話の主人公は母親です。このお母さんは推定年齢50~60歳くらいの、本が好きでちょっと知的な、でも普通に優しめのお母さんです。高校生だった娘は、同じく本が好きでお母さんにそっくりだけど、とげとげしてて批判的で、高い志をもって良い高校に入ったのに、早々に周りに幻滅して自殺してしまいます。そしてこのお母さんには、さらにお母さんがいます。つまり祖母です。祖母はお母さんの回想にしか出てこないし、話の途中で亡くなってしまうのですが(だからやっぱり80歳くらいだと思うんですよね)、このお祖母さんは娘であるお母さんに対して、すごく冷たかったみたいですね。と、少なくともお母さんは思っているわけです。
 ここまで読んで、これは、うちの話かな?と思いました(笑)

 私のおばあちゃんはとても社交的で立派な人だけど、昔はそうじゃなかったみたいで、お母さんはおばあちゃんに対してモヤモヤした感情を持っています。私はそんなこと全然知らなくて、自分が結婚するときに色々話し合って知りました。そして、こんなにお母さんに良くしてもらってるのに、いつもとげとげしてて死にたい高校生の娘は、それはかつての私です(笑) わかる。わかるぞ。
 なんでだろうね。みんなそうなのかな。女系家族というか、女の血が濃い一族って、みんなこんな感じなんですかね。

 やっぱり女だけだと、辛くなってきますよね。主に育児の場面においての話ですけど。結局女の人はまじめだから。どうしても「○○しなきゃ」論が先行するから。そうすると、そういう空気感の中で生きてると、こちらも段々と、なんで生きてるんだろう、っていう気持ちになってきますよね。
 ここで重要なのは、祖母が、父方の祖母ではだめで、母方の祖母でないといけないんです。そうでないと、この独特の閉塞感が出ないんです。だから例えば、「皇室(美智子妃×→雅子妃○→愛ちゃん○)」「ちびまる子ちゃん(おばあちゃん×→お母さん○→咲子・まる子○)」「サザエさん(フネ○→サザエ○→タラオ×)」は当てはまらない。当てはまるのは、言っていいかわからないですけど、神田沙也加さんのところと、あと「あたしンち(田舎のばーちゃん○→母○→みかん○)」とかですかね。この後者のグループに対する思い入れは結構強いですよ。「あたしンち」はほのぼのしてるしギャグもめちゃくちゃ面白いときがあってすごく好きなんですけど、母とみかんの関係性だけを切り出して見ると、やっぱりちょっと歪なところがあるよなーと思ったり。あと神田沙也加さんは今でも悲しいですね。…こう書いてる今も。悲しいね。何がって、神田沙也加さんが、そんな風に思って生きてきたんだなーっていうことが、一番悲しい。

 女の人の生きづらさは、男性が作り出した外の社会にあるのではなくて、実はこういうところに端を発しているんじゃないかと、私は思っているのです。つまりは家の中で、男親や男兄弟にすら感知されることなく、祖母から母、母から娘へと連綿と受け継がれていく、女であることへの引け目、憂い、虚しさの感覚。それが、親子三代の少なくとも90〜100年間、いやもしかしたらもっと古代から、途切れることなく続いている。そういう、覆しようのない文脈が、今このお仕着せの男女平等社会に放り出されている私の、無力さと劣等感の本当の根源なんじゃないかと。そう、思わずにはいられないんですよね。



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