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2024/8/6 果物の宝石箱、山形・歴史が私に教えてくれた

祖母の家、山形に来ています。
祖母は既に他界していて今は叔父が住んでいるのですが、いまだにずっと"お婆ちゃんの家"と言ってしまう。
姿はなくとも、今でもここにいる感じ。不思議。

祖母の部屋から祖母の私物は殆どなくなっていて、今は叔父が贅沢な使い方をしているのですが、それでもここに祖母がまだ住んでいる感じがする。

夏に山形に来ると桃を買って帰るのが我が家の定番なのですが、今年も沢山購入。色々な桃太郎の種類があり、破格な値段もたくさん。
私が住んでいるところもそれなりに田舎で、自然を感じに都内の友達がわざわざ来てくれたり、野菜やお米も新鮮な物が安く買える!!と思って過ごしていますが、山形の物産所を見ると、とっても美味しそうな野菜や果物が凄く安くて、全部買いたくなった。
叔父が作ってくれる食卓も光るお米や野菜が色鮮やかに並べられ、美味しくて毎食平均3杯食べました。息子も。
並ぶラインナップも祖母がいた頃と同じなんだよなぁ。だから尚更まだここにいる感じがするのかも。

斎藤茂吉記念館に行ってきました。
最近息子はこういう歴史的な人の記念館に行くのが好きになったので、ゆっくり楽しめるようになった。少し前まではつまらぬ場所だったので、全然ゆっくり見れなかったけど。小学3年生で斉藤茂吉記念館を楽しめるってなかなか珍しいと思う。多分。私は最近まであまり楽しめてなかったしなー。

斉藤茂吉は明治大正昭和と生きた人で、あらゆる戦争(日清戦争、日露戦争、日中戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争)や関東大震災など辛い時期を経験し、14歳で養子に出され、歳の離れた令嬢と結婚。妻の不倫(違う言い方だったけどたしか)で別居、自分も若い美しい容姿の女性に恋をし、あの時代に海外に行きまくり、妻と3年海外と日本の遠距離で過ごし(今のように簡単に連絡も取れない時代に)、そして最後は孫たちに囲まれ一緒に過ごすことで幸せに過ごしていたという茂吉の生涯を見て、当たり前ではあるけど、みんな上部ではわからないけど紆余曲折、その人だけのストーリーを生きているんだよな。
なんて思って。
野口英世の生涯を見ても感じだけど。

私には旦那はおらず、ハーフの子どもをシングルで育て、息子の父親は海外にいる。会えていないけど連絡は取り合い、息子にプレゼントを送ってくれたりとコミュニケーションは続いている。
日本の世間一般的にいうと"普通"ではないと思うけど、それはそれでなかなか面白い人生よなって思えてきた。
子どもには辛い思い、寂しい思いをさせていまっているかもしれないけど。いろんな人生があるよ。
あなたの人生もこれから色々あるよ。私もまだまだ色んな出来事があるでしょう。
色々なことに挑戦し、荒波を乗り越える人生こそきっと面白い生涯になるだろう。と。

野口英世記念館、鶴ヶ城、斉藤茂吉記念館、上山城など日本の歴史に触れて感じる夏2024。

そして今日は広島に原爆を落とされた日でもあります。。。黙祷

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