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「あなたが心配」という呪いとそれを解く方法

妊娠中というのは、その時の自分の精神状態が影響するもんだなぁとつくづく感じる。

疲れているのに、目がさえて眠れない。理由は明白だ。眠る前に母から来た一本の電話。それが私をイライラさせている。

「もしもし、ちょっと話せる?」

母親が突然電話してくることはほとんどない。しかも、今回は関東を直撃した台風が心配になって前日に連絡をとったばかりだ。

少し緊迫した母の声に、いやな予感がした。友人夫婦と夕ご飯を食べて戻るところだったので、「またかける」とだけ言って切ったが、翌日以降に延ばして気になるのも面倒だったので帰宅してすぐにかけなおした。

「いやね、出産についてなんだけどね」と母は切り出してきた。

ちなみに私は関東の実家へは里帰りをせず、今住んでいる九州の助産院で出産することにしている。それは数か月前から実家の両親も了承済みだった。

出産費用、提携する産科病院、NICU(新生児集中治療室=ハイリスクの新生児を治療するための高度な医療設備)のある病院は・・・??

尋問のように突然質問を浴びせてくる。答えながら、助産院を選択したことを心配しているのだとわかった。親として、娘が病院ではなく助産院を選ぶことを心配する気持ちはわかる。ただ、今は臨月で出産はすぐに迫っている。助産院にしたことは説明して納得してくれたはずだった。

「なぜ、このタイミングで突然聞いてきたのか」と母に聞くと、「助産院から提携先の病院まで車で40分かかる(実際は10分)と私が言っていたことを思い出して、それは遠いと思ったから」ということだった。

どうやら、前日に久しぶりに電話をした後、父と私の出産の話になり、病院までの距離について記憶違いの情報を思い出し、不安になったようだった。

それが判明するまで30分。その間、「早期破水の場合は?」など起きてもいないリスクについて聞いてくる。私は幸いにも経過は順調で、事前の健診では医療行為が必要な状況にはない。もちろん、いろんなリスクはありうるし、ネットにそうした相談や情報がのっているのを目にしたことはある。それにしても、「ドラマでやっていた」「ネットで見た」などといって起きていないリスクをあれこれ聞いてくる母親に正直、辟易した。

母はもともと心配性だ。それを悪いとは言わないけれど、今回感じた違和感は、「あなた(と赤ちゃん)が心配だから」といいながら、実際は自分が感じている不安を解消するために聞いてきたことにある。子供のころから、受験や就職などことあるごとに、こういう「心配の押しつけ」はあったように思う。

「あなたのため」と言いながら、自分の不安を解消しようと「それで本当に大丈夫なの?」「〇〇が起きたらどうするのか?」など起きてもいないリスクの話をする。何かを選択する時、リスクを減らすために踏まえておくべき情報や検討しておくべき対応は確かにあると思う。ただ、母の場合は自分が心配に振り回されて、それを解消したいだけなので、こちらはただ無駄な心配やストレスを押し付けられてしまう。

大企業に勤めてアメリカのNYに長く赴任していた友人が最近、帰国してNPO法人に転職をした。アメリカ人の友人たちからは「応援するよ」「ステキだね」と彼の選択について背中を押す言葉がほとんどだったが、日本の友人たちからは「(将来は)大丈夫なの?」「どうやって生活するの?」など「心配」の声が圧倒的に多かった、と話していた。

アメリカの人たちの反応は「無責任」、日本側は「親身」という風にも受け取れるかもしれないけど、本当にそうだろうか?その「心配」はどれだけ相手のことを思って出てきた言葉なのだろうか?自分の常識や価値観に照らし合わせて、異質なものを「心配」「不安」材料と判断して、相手に押し付けているだけになっていないか。

日本で助産院で出産をする妊婦は1%を切るという。助産院という選択は、多くの人にとって「異質」ともいえるかもしれない。それでも、私はそれが自分らしいお産をするための一番いい選択だと信じている。もちろん選択するうえで、想定される医療リスクをできるだけ減らすために体調管理も含めた努力もしているし、どうしてもだめな場合という覚悟が必要な時もあると思っている。

だからこそ、母の「心配の押しつけ」で自分の決断が揺らぐことはないのだけど、それでもやっぱりモヤモヤ、イライラしてしまう。子供のころ少なからず受けた、不必要な影響も考えてしまうのかもしれない。

そんな眠れなさを、明け方のこのノートが救ってくれた。はぁ、ありがとうございます。それでは、おやすみなさい。

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