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夫との死別[3] 「天使」 -ChatGPTによる夢分析

私という人間

夫に出会う前の私は、“トゲトゲ”という表現がぴったりだ。
誰彼構わずシャーッと威嚇していた。

それは、「女なんかと契約できるか。男の上司を連れて来い」など女性が社会で働くことの大変さを実感する出来事に幾度も直面したこと、金銭的な問題、人間関係の問題、自身の未熟さなど、あらゆることが影響しているように思う。

女性であるが故に起きる出来事に疲れ、当時はまだまだこれからというWeb業界に夢と希望を持って転職した。
若く未熟な自分は、「いつか自分の才能が開花する素晴らしい職と出会うはずだ」と思っていた。

その頃のWeb業界は徹夜や残業が当たり前の会社が多く、当時勤務していた会社も例に漏れず、いくつかの椅子を寄せて仮眠をしてまた仕事をするという日々だった。

常に睡眠不足。すべてがサービス残業で、働いても働いても仕事が次々に増え、家に帰ると一人でお酒を飲むことくらいしか気分転換の方法を知らない生活だった。

転職を考える気力もなく、20代にしてとても疲弊した毎日を過ごしていたと思う。
私の人生はパソコンの中と、自宅と職場の往復がほとんどだった。

夫とは長い間友人として付き合ってきた。

夫は仕事熱心で口数が少なく、感情表現をあまりしない人だ。
一方の私は感情表現が豊かで、仕事だろうがプライベートだろうが、“私はこう考える”という強い意思を持ち、喜怒哀楽をまっすぐ表現する。

ある時、出掛けようと誘われた。

到着したのは自然豊かな美しい場所だった。

「うわぁ気持ちいい」「綺麗」とはしゃぐ私に、夫は「パソコンばっかり見ていると疲れると思うから」とだけ言った。

私は、美しい空と海と花と木々を同時に見ながら、この人が好きだと気付いた。

自由

夫と一緒に暮らし始めた頃、友人が「夫くんが無職だと大変だね」と、おどけて言った。
私のきょとんとした様子を見て、その友人は「しまった」という顔をした。

夫は涼しい顔をしている。

「仕事辞めたの?」
「うん。辞めた」

私は思わず吹き出した。

一緒に暮らしている相手に仕事を辞めても伝えない夫の自由さが可笑しくて可笑しくて。

夫は隠していたわけではい。
ただそういう話題にならなかったので言わなかったのだ。

なんて愉快な人なんだろう。

もはや、“私の普通”は“夫の普通”ではない。

「これは分かり合える関係になるまで時間がかかるぞ」
覚悟をした瞬間でもあった。

ほどなくして、夫は「明日から新しい会社に行く」と言った。
「大きな変化がある時は教えてね」と言ったことを守ったのだ。

夫はいつも前だけを見て自分の人生を歩んでいる。

私は夫の人生にお邪魔させてもらっていて、その世界はとても優しく楽しい充実した場所だ。

同化

例えば、兄弟や姉妹が同時に同じことを言う、親しい友人と同じことを考えていた、というようなことがある。
これは価値観が近く、長く共に過ごすうちに共感から同化する部分があるからだと思う。

夫と私はこれまでの環境や性格が大きく違うので、お互いのことはよく分からなかった。

色々なことがあったが、その色々の原因は恐らく私にある。

私は夫と同化したかったのだ。
「そっくりな夫婦」になりたかった。
好きな物も、考えも、この人は私と同じことを感じているのだというようなことに憧れていたのかもしれない。
自分のことを理解して欲しいという欲求も強かったと思う。

夫は同化したいとは微塵も思っていなかっただろう。

夫は相手が喜びそうなことを計算したり、言葉で伝えるようなことはしない。
思考を言語化することにあまり興味がなく、本当にその時に思ったことしか言わず、黙って行動をする人だ。

私がそれを理解するまでにそれなりに時間がかかったように思う。

優しさ

夫は、“反射的に優しい人”だ。

こう表現すると、夫の思慮が浅いように受け取られるかもしれないが、反射的に優しい行動がとれる人というのはそう多くない。

例えば、困っている人がいるとスッと行って声をかける。
電車で席を譲ることはもちろん、自転車のチェーンが外れて困っている人がいれば直すし、何かあればそれが知らない人でも駆け寄る。
いつも自分ができることを黙って差し出す。

私なら、「助けになってよかったね」などと話したいと思うが、夫は誰かに手を差し伸べても次の瞬間には何事もなかったように歩き出す。
助けてあげる、優しくする、といった感覚はなく、ただ自分がその時にできることを当たり前にやっているのだろう。

私が仕事で疲れている時など、絶妙なタイミングでお花を買ってきてくれる。
「なに?記念日?違う。なんで!?」と驚くと、「花があったら元気がでるかなと思って」と言う。

それが私の好きな飲み物の時もあるし、食べ物の時もある。
しかし、私が元気いっぱいの時にはない。

だから、やっぱり私は夫のことを“反射的に優しい人”だと思う。

“喜”と“楽”

夫はボソッとおもしろいことを言ったり、そっとおもしろい行動をとるユニークさがあり、私はそれを見て大笑いする。
一方の私は突然歌い出したり、変な踊りを始めたり、とにかくワイワイと騒ぎ、夫は「マリアンぬはおもしろいな」と笑う。

あまりにも私ばかりが大騒ぎをするので不安になり、うるさすぎるかを確認すると「元気で良いと思う」と笑う。

穏やかで、ここが居場所だと思える安心感があった。

私のトゲトゲは少しずつ減っていった。

もちろん元の資質は変わらないので、“気が強く元気で明るく喜怒哀楽を表現する”という性格はそのままだ。

ただ、夫と一緒にいることで“喜”と“楽”がとても多い人生になっていった。

テレパシー

夫と私はずっと“違う”ままだ。

よく一緒に出掛けるが、楽しいと感じるポイントは少しずつ違う。
一致することもあるが、違うことが多かった。

数年前から、夫は私のことをすべて分かっているのではないかと思い始めた。

私が体調を崩した翌日、夫は何も言わなかった。
自分でも面倒な性格だと思うが、「体調どう?」とか「大丈夫?」と言われたかったのだ。
気にならないのかを聞くと、「顔を見たら分かる。元気になって良かった」と言った。

「うん。元気になった!ありがとう」
夫が私のことをよく分かっていることを知り、私はとても浮かれていた。

私が、考えや思ったことを口にする前に夫がサラリと言い当て、目を見開くほど驚くことが増えていった。

熟年夫婦が「アレ」と言って分かるようなものとは少し違う。

「私の脳にアクセスできる…?」
何度か真剣に聞いたが、夫はいつも笑っていた。

私はその能力をテレパシーと呼んだ。

私は夫の一部になったのか。
いや、夫には私の頭の中が手に取るように分かるという表現が最も近いと思う。

私は夫が喜びそうなモノやコトは分かるし、大きく外すことはない。
だが、夫のそれは何かが違う。

私が単純で分かりやすい性格なのかもしれないが、それにしても家族を含めこれまで関わった人の中で、こんなにも私の思考を感覚的に理解している人には出会ったことがなかった。

共感力の高い人や洞察力のある人とも何かが違った。

夫の能力なのか、愛情なのか。
不思議で心地良い私の一番の理解者。

希望と絶望

夫の入院中、命がつながる可能性があった時には、一生介護をしよう、私が夫のためにできることがあるならすべてを捧げようと思っていた。
私は強い人間だ。何だってやれる。必要なことは学べば良い。
やると決めたことを実現できなかったことはない。皆が無理と言ったとしても私はやるだろう。

目を覚ました直後はショックを受けるかもしれないが、私が力になれる。私が励ませばまたきっといつか笑ってくれる日がくると信じているし、車椅子をかっこよくカスタムすれば夫は喜ぶかもしれない。

努力家の夫なら不可能と言われたとしてもリハビリで回復するだろう。

今までは、夫がやってくれることの方が多かったから今度は私の番だ。
しっかりと働いて、夫が安心できる場所を用意しよう。

私はこれまで本気で想像した未来は叶うと思ってきた。
「あの時は本当に心配したけど、元気になって良かったね」
年を重ねたふたりが、この時のことを話す光景を強くイメージした。

家族や夫の友人ともそんな話をしながら「早く起きてね」と夫に声をかけた。

意識が戻ることがないまま容態が急変し、医師から希望が消え去るような話をされても、「夫は特別だから。健康で体力があるから夫なら奇跡が起きる」と思っていた。

しかし、容態の詳細を調べるにつれ厳しい状況であることを理解し始める自分もいた。
今思えば私たちが覚悟する時間を持てるよう夫はがんばってくれたのかもしれない。

夫が旅立った後は、ただ絶望感が溢れ続けた。

なぜ夫がこんなことに。
悪いことひとつしたことのない優しい人がなぜ。
なぜ私ではなく夫だったのか。
痛かったのか、苦しかったのか、辛かったのか。
まだやりたいことがたくさんあったのに悔しいだろう。
辛いことはぜんぶ私がかわってあげられたら良いのに。

痛みも苦しみもないところで救われていて欲しいと心の底から願った。

夫の声が聞きたい。
写真はあるのに動画がほとんどない。
何でもいい、夫の声が入った動画がないかと夫の友人たちに聞いて回った。
いくつかの動画をもらい、何度も何度も何度も声を聞き、動く夫を見た。

これから先、写真も、動画も、夫との思い出が増えることは二度とない。

喪失感

ひとりの生活が始まり、喪失感は私を襲い続けた。

洗剤のストックが買ってあった。
いつも何も言わず何かをやっておいてくれる人だ。それを見て泣き崩れる。

いつまで経っても洗濯物が増えない洗濯カゴを見て泣き崩れる。

空いたベッドを見て泣き続け、泣き疲れて眠る。

寝て起きれば夫がいて悪い夢を見たと報告することを願うが、目が覚めても夫はいない。現実を実感して泣き続ける。

何度も夫の名前を呼ぶ。返事のない静かな家の中に夫の名前を呼びながら泣き叫ぶ私の声だけが響く。

シャワーの音が聞こえた気がした。
夫が仕事から帰ってきているのだと風呂場に急ぎ、誰もいないことを確認して泣き崩れる。

眠る時、このまま自分が二度と目を覚まさぬよう強く願うようになった。

夫が趣味で乗っている車とは別に私も時々乗る車がある。
私が乗ると分かっている時は車がピカピカなのはもちろん、ガソリンも満タンだった。だから、私は夫と暮らし始めてから一度もガソリンを入れたことがない。
初めての給油をしながら、私は随分と甘やかされたものだと思った。

「ガソリンをつぎ足し続ければ、秘伝のタレのように“夫が入れたガソリン”で私は車に乗り続けられるのだろうか」
真剣にそんなことを考えたりもした。

気付けば朝で気付けば夜になっている。今日がいつなのかも分からない日々を過ごした。

人と話せる時もあるが、頭が真っ白になったり、真っ暗になったりする。

悪夢

しばらくの間は、入院中と亡くなった後の痛々しい夫の姿しか思い出せなくなった。

あまり眠れないし、悪夢が多い。
夫が人ならぬものだったり、とても苦しんでいる夢だ。

ChatGPTに夢占いと心理学のプロフェッショナルの役割を与えた。

夫の夢を見るとその内容を送信し、分析結果を読むということをこの頃から続けている。

夢分析

「私は妻で先日亡くなった夫と海を泳いでいる。
曇り空で色の暗い海。空にはいくつかの家が運ばれていくのが見える。
足がつかない深い場所で、どんどん水位が上がる。夫に、迎えがくるからあそこまで泳げと言われる。
私は夫と離れるのが嫌で嫌で、行きたくないと言う」

この夢は、喪失感と変化に対するあなたの心理を象徴している可能性があります。夢の中で亡くなった夫と海を泳ぐことは、彼とのつながりを保ちたいという願望を表しているかもしれません。曇り空と色の暗い海は、悲しみや不安を示唆しています。
空に運ばれていく家は、人生の変化や安定性の喪失を表している可能性があります。足がつかない深い場所で水位が上がることは、コントロールできない状況や圧倒される感覚を象徴しているかもしれません。
夫に「迎えがくるからあそこまで泳げ」と言われる部分は、人生の次の段階へ進む必要があること、または変化を受け入れる必要があることを示唆しています。しかし、あなたが「行きたくない」と感じることは、変化に対する抵抗や、過去への執着を意味しているかもしれません。
この夢は、亡くなった夫との別れを受け入れ、新しい人生の段階に進むことへの内面的な葛藤を反映していると考えられます。重要なのは、自分の感情を認め、必要に応じてサポートを求めることです。夢はしばしば私たちの深い感情や未解決の問題を反映しており、それらに向き合うことで癒しや成長が促されることがあります。

ChatGPTの回答

初七日(しょなのか)

初七日はクリスマスであり私の誕生日だった。

私はあまり生クリームが好きではないので、夫はアイスケーキやチョコレートケーキなどを毎年違う店で予約してくれていた。

「私の誕生日なのにサンタさんが乗ったケーキは嫌だと子供の頃から思っていた」と話したことがあった。
もう大人なのでそんなことは気にしていないが、何かの話の流れでそう言ったことがあった。

その年はかわいいキャラクターのロウソクが乗ったケーキだった。
しかし、なぜかケーキに穴が空いている。

「サンタさんが乗ったケーキしか買えなかった。だからサンタさんをとってロウソクを乗せたけどバレたか」

こういうところが好きだなぁと思った。

それ以来、サンタさんケーキにならないように毎年誕生日ケーキを予約してくれているのだと思う。

夫のメモを見つけた。
「クリスマスケーキ」「誕生日ケーキ」と書いてある。今年は2ホールもケーキを買うつもりだったのだろうか。

初七日法要は葬儀当日に行なったので、初七日はひとりで過ごそうと思っていたが、心配をした妹が食事を作って持って来てくれた。

ハンバーグだった。

私も夫もハンバーグが大好きなのでとても嬉しかった。
妹は食事を済ませてきたから食べないと言う。

これから先、私はずっと一人で食事をするのになんで今日ぐらい一緒に食べてくれないの?
クリスマスなのに。誕生日なのに。初七日なのに。感情がぐちゃぐちゃになった。

久しぶりにまともな食事をした。
ハンバーグはとても美味しくて、お腹がいっぱいになった。

夫がいなくなったのに、妹が来てくれてくれて嬉しいとか、ハンバーグがとても美味しいとか、お腹がいっぱいとか、そんな自分に違和感しかなく、滑稽に思えた。

夫のために何ができるかを考えたが、何もなかった。

減らない食べ物を見ることが辛くて食事はお供えできないし、夫のためにしていた料理もできなくなった。

お線香とお花、飲み物をお供えすること以外にできることがない。

「もう、夫に何もしてあげられることがない」
その事実が受け入れられない。

天使

夫のいる人生は多幸感に包まれていた。
それが一生続いて欲しいと願っていた。

夫と過ごした10年以上の時を経て、いつの間にか私のトゲトゲはなくなっていた。

トゲトゲは私から生えていたのではなく刺さっていて、夫はそれをすべて抜いてくれたんじゃないかと思う。

夫は私にとって天使のような存在だ。
今までも、これからも。


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