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フェミニストが一人一派だから不誠実という誤解を解いてみる

実はオタクも一人一派である

萌え絵擁護派は萌え絵批判をするフェミニストに対して基準がブレるという指摘をするが、これは間違っていることが多い。
基準が人によって違うというだけのことだと思う。

実際には萌え絵擁護派も、公共の場での表現についての基準はブレる。
公共の場での表現で、全表現をOKとする人もいれば、局部だけ隠れてさえいればOKの人もいる。
下着ならOKとか着衣ならOKとか、基準は人によってブレるのは当然のことだ。

萌え絵擁護派が抱える2つの誤解

萌え絵擁護派も批判派も基準がブレている中で、萌え絵擁護派が怒る理由は2つの誤解に基づいていると思う。

・萌え絵擁護派は意見のブレがないという誤解
・萌え絵擁護派だけは意見のブレが許容されるという誤解

萌え絵擁護派は意見のブレがないという誤解

前者の「萌え絵擁護派は意見のブレがないという誤解」というのが起きる理由は、萌え絵擁護派が自分の考える基準について言及することがないからだと思う。

基準について言及することが不利になるので避けているのではと私は思う。

基準について言及してしまうと、自分の主張の限界を自分で認めてしまうことになるからだ。
例えばスカートの長さについて、「下着が見えるわけじゃないからセーフ」と言ってしまうと、下着が見えるイラストを擁護できなくなるという不利がある。だからほとんどの表現の自由派は、基準について言及しないのだと私は思う。

一方の萌え絵批判をするフェミニスト側は、批判しなければならない立場なのだから、その絵の不適切なポイントについて言及する。スカートが短い絵についてはスカートの短さを、透けて見える表現には透けて見える不適切さを言及する。

萌え絵批判派の基準の言及は、その絵のもっとも目についたところを争点にする。だから人によって、絵によって、異なる基準が出る。これは当然で、不適切な基準が複合的なものだからだ。

複合的な基準のもっとも目立ったところを言及しなくてはいけない萌え絵批判派に対して、萌え絵擁護派は自身の考える基準を一言たりとも言及しなくてよい立場にある。

だから、萌え絵擁護派は萌え絵批判派に対して、「基準が一貫せずブレる」という誤解を抱くのだと思う。

フェミニストの意見のブレに怒るオタクがやるべきこと

フェミニストは意見がブレて統一しないという誤解を解決する方法は簡単で、萌え絵擁護派がそれぞれの考える基準を示せばいい。
そうすれば萌え絵擁護派の中でも、人によってブレるし、絵によってブレるし、後出し条件も出しうるというのが理解できる。自分たちも一人一派の要因を持っていることがわかると思う。

萌え絵擁護派だけは意見のブレが許容されるという誤解

次にフェミニストだけが意見を統一すべきという誤解について述べる。実はなぜこのような主張がなされるか、私にはよくわかっていない。
フェミニストは学問だから一貫すべきとか、現状を否定する立場だから論証責任があるとか、あまり論拠のない意見がみられる。

単純にある問題について議論しているのだから、一方にだけハンディキャップを要求するのは私は間違っていると思う。こちらに関しては有効な反論を私はまだみたことがない。

統一見解を持つ陣営など絵に描いた餅である

論拠のない意見はいったんおいて、どの陣営であっても見解にブレが生じうるという1つ目の誤解を理解していただいて、ブレのない陣営など絵に描いた餅にすぎないと認識してもらえれば、納得してもらえるだろうか。

以上、萌え絵擁護派は批判派に対して基準がブレるという指摘があるが、それは誤解だということを述べた。
この誤解を解いた上で、個々人が考える問題と基準を持ち寄ると、割と建設的な議論ができると思う。

建設的な議論に至るまでの誤解は解消しておきたい。目的が誹謗中傷やネガティブキャンペーンなら話は別であるが。

注: この文章はこちらのTweetをまとめたものです。

注2: フェミニストと萌え絵批判派を同じような意味で書いていますが筆者としてはこれを別物と考えています。これについてはいずれ書くつもりです。Twitterの多勢が同じ意味で論じているため、それにあわせて書いたのが本文です。

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