娘の留学先スペインで私が大人になった話~多様性を受け入れた~
15年前、娘の留学先のスペインへ
今から15年ほど前、娘の留学先のスペインに遊びに行きました。
1年間の留学を終えて、娘のスペイン語もかなり上達している時期でした。
2週間ほど滞在して、マドリッド、バルセロナだけでなく、街そのものが世界遺産というようなところも連れて行ってもらいました。
無秩序と人種差別の洗礼
マドリッドからスタートしたイタリア観光で待っていたのは、ごみだらけの路上。
最初に入ったバルのウエイターは、小皿料理を注文する娘のスペイン語に耳を貸さず、セット料理しか出さない、と言い張りました。周囲を見回し、なんで?というかんじ。
「ここは出よう!」と店を出る娘の後に続きながら、出端を挫かれた思いでした。娘が可哀そうで・・・😢
それでも、教会や修道院の美しさ、美味しいパエージャ(パエリア)やチュロス、宿泊したホステルの居心地もよくて、気を取り直し、楽しむことができていました。
ですが・・・観光しか資源がないのかな~と思われる街で、遅めのランチに入ったバルでは、たむろしている男性たちに、全く視線を外されずに観察されながら食事するという体験をしました。「礼儀」とか「遠慮」の感覚がない人たち。さすがに不快で怖かったです。
同じ街で、1時間待たされたタクシーが目的地の高台に着いたら、メーターの料金に高額の配車代を加えた請求をしてきました。なんでそんなに高いのかと訴える娘に、早く払って降りないとまた料金がかかるよ、という運転手。
バルセロナで宿泊したホステルは、意地悪さんがいて、居心地が悪かったです。
たぶん人種差別だろうと思われます。
差別は、差別する人の問題です。
でも、されたらやっぱり悲しいです。
日系デパートの店員さんは怖い顔で、スリやひったくりの警告。
親切とか誠実さはこの国にはないのか、と娘との楽しいはずの旅が台無しにされたみたいな気持ち、周囲の人たちがみんな敵に思えて身構え、なんだかぐったりしてしまいました。時差の影響もあったかもしれません。
私の心はすっかり疲れていました。
カトリック教会の聖堂で座り、祈っている時だけ、安全、安心を感じました。
といっても、そこでも声をかけられました。日本からの女性観光客を狙っていたと思われる「米軍キャンプで働いていた」男性に。
「秩序」「ホスピタリティ」を感じたドイツとのギャップが・・・
スペインを訪れるちょうど1年前、私は、ドイツのホスピスや病院を巡り、現地の心のケアについて学ぶ研修旅行に参加していました。
スタッフや患者さんたちとお会いして、自分の心が研ぎ澄まされる、余計なものが削られるような体験でした。
「秩序」と「ホスピタリティ」。社会に対する責任感を感じました。
そのせいで、スペインで感じたギャップがなおさら大きかったことは否めません。
「こうあるべき」拘りから解放された
そんなかんじで、「ここは油断ができない」と肩に力を入れて観光を続けていた私でしたが、慣れてくるというか、「これは、これでいい」と思える場面が増えてきました。
闘牛場にも足を運びました。
牛が闘牛士と戦って、闘牛士に刺されて、血だらけに傷ついて、死んで、会場みんなで大喜び、ラッパの音楽に合わせて、ラバにひかれて退場するまでには、ちゃんとストーリーがありました。小さくてかわいいラバを傷つけた暴れ牛は何とかしないといけない!と満場に思わせ、そこに闘牛士登場☆というストーリーが。
文化というか、皆さんにとって魅力がある、熱狂できる時間であるということは、理解ができました。
フラメンコも楽しみました。
膝が壊れそうなステップで踊る男性、へらへらと照れたような笑い顔のギター奏者。若い女性の後に出演した妙齢の女性のフラメンコダンサーは、体の線が変わっていても、哀愁漂う柔らかな動き・・・。
バレンシアでは、ウサギの肉のパエージャもいただきました。
真っ黒なイカ墨のパエージャが美味しかったです☆☆
レストランで、感じが悪いウエーターにはチップをあげない、という技も身につけました。
ちょっとずつ、スペインはこれでいいんだ、ゆるさが心地よい、とも思えるようになっていきました。
ごみを見たくなかったら、日本に帰るか、ドイツに行けばいい。
スペインにやってきたら、そのままのスペインを楽しむしかない、と当たり前のことが腑に落ちていきました。
「こうあるべき」とか「こうでないとよくない」みたいな拘りがないほうが楽しい、これからはそんなふうに生きていきたい、と思いました。
多様性を認めることができた、私が大人になった瞬間です。
「これでいいのだ」とバカボンのパパみたいなことをつぶやきながら、後半の観光を楽しみました。
やわらかくなった心で、優しい、たくましい娘に感謝しながら帰国しました。
見どころをしっかり押さえ、美味しい体験をたくさんさせてくれて、本当にありがとう♡
娘から後に聞いた話では、かわいそうに、この旅で円形脱毛症になったらしいです💦
♡このスペイン留学から約10年後、娘は仕事を辞め、世界一周旅行に出発しました。およそ8か月間の旅の途中、キューバでカナダから旅行に来ていた現在の旦那さんと出会っています。
スペイン語が話せたことがご縁になったみたいです♡
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