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留学報告書

 留学から帰って来て沢山の人に再会したり出会ったりしました。「カナダどうだった?」と聞かれて帰る前はなんと答えようか考えても考えても思いつきませんでしたが、不思議と答えは決まっていました。「楽しかった」です。楽しくなかったこともあったし、泣いた日もあったのに、自分の口から楽しかったと迷わずに出てくることに少し驚きました。カナダで出会った人と場所が、私の記憶に良い思い出として残っていることが嬉しかったです。
 楽しかったと答えられるということは、行ってよかったと言っているのと同じです。行ってよかったと思えるのは、きっと自分が何を尊重したいかを改めて確認することができたからだと思います。
 私にとって大切なのは、人との繋がりでした。嬉しかったのは人と分かり合えたときで、悲しかったのは人と分かり合えなかったときでした。自分が自分でいるために最大限の努力をした結果が、人との繋がりを新しくつくったり今までのものを切ったりすることが多々あります。私はいちいち喜んだり落ち込んだりしますが、それを治したいと思っていた時期がありました。しかしカナダで全く知り合いがいない環境に飛び込んでも、していることが同じだったので、これが私なのだと受け入れることにしました。受け入れてからはだいぶ気持ちが楽になって、気持ちが大きく揺れ動くことがあっても客観的に自分を見て、これでいいと思うことができるようになりました。
 これからやりたいことも見つけました。やはりジェンダー問題は日本にいた時から一番関心のあった分野だったので、カナダで過ごして帰って来て、これが私のやりたいことだと再認識しました。カナダが日本よりも進んでいるのは言うまでもなく、もちろんカナダの方が生きやすい社会だと感じます。しかしながら、そのことが理由で日本に住むことを諦めたくないと思いました。それはカナダも最初からこうではなかったと知っているからです。カナダで出会った女性も男性もそうでない人たちもみんなが、先人たちが切り開いて積み重ねてきた歴史の上にいることを誇りに思って生きているように見えました。そして彼らはとても優しくてあたたかくて、私もこうなりたいと思わせてくれました。だから私は日本で頑張ろうと思います。カナダと同じにしたいのではなく、私の大好きな場所をさらに愛せるように、できることを探してやりたいということです。
 アイスホッケーができたことも、本当にカナダの思い出を充実したものにしています。日本でも競技人口の少なさや人間関係で悩んだことはあります。しかしそれらの問題点が解決されたからと言って、全てが上手くいくわけではないということもわかりました。人口が多すぎるが故に、競技を愛することが必須ではなくなるので、練習をめんどくさがるという概念を初めて体験しました。私が行かなくても成り立つことが、良いことでもありまた寂しくも感じました。
 友達もたくさんできました。一番の思い出は報告書などには絶対に書けないようなことをしたことです。今を全力で楽しむ仲間と出会うことができて恵まれていました。意外だったのは、日本では共感できる人は全くと言っていいほどいなかった音楽の分野で、趣味の合う友達ができたことです。日本では難しくても、世界にはもっとたくさん気の合う友達ができると知って希望が生まれました。地球のいろいろな地域に友達ができたので、これから旅をするのが楽しみでたまりません。
 カナダで学んだことの一つに、学校においても家庭においても、さらには恋愛においてもとてつもなく大切な概念があります。それはリスペクトです。カナダに行く前から聞いたことのある単語で、それが尊敬という意味があるということは知っていましたが、どうして漢字で尊敬と書かずに、わざわざカタカナで表記するのかずっと疑問に思っていました。それがついに分かりました。英語のリスペクトという単語には、日本ではあまり浸透していない概念の意味があったのです。もちろんどうしても日本語に訳すときは尊敬という単語が最も相応しいと思います。ただ、英語で l respect youと言うときは、相手のことを敬って憧れているだけではありません。尊重という単語に近くなるかもしれませんが、相手の意見や存在そのものをありのままで良いとし、それを受け入れるということを伝え、かと言って無理して自分自身を変えることはしないという意思表示もするのが、 I respect youの意味だと、10ヶ月の留学生活で分かりました。
 人のことを尊敬することは簡単ではありません。普通は自分が興味のある分野で自分よりも優れた成績を持っている人や、人間として自分よりも成熟した人格を持っていると思える人への気持ちや態度を示すときに、尊敬という言葉を使います。でも自分より弱い立場にある人や、全く知らない他人を尊敬することはありません。しかしリスペクトはできます。お互いに相手に失礼がないように共存することは誰が相手でも簡単にできるはずだし、するべきだと思います。相手と親密になる必要もないので、踏み込んで行って無理に理解したり共感したりしなくていいのです。自分が支配しない、できない範囲を知り、その範囲内外の人と適切な距離を持つことは、リスペクトを持つことから始まります。
 学校では教師と生徒の関係性に、カナダではリスペクトを持って臨むことが重要視されています。お互いを1人の人間として尊重し、話したり一緒に過ごしたりするのです。教師の方が偉いとか強いとか、そのような考え方は一切通用しません。だから生徒の服装や髪型に口を出すことがないのです。そんなことをしたら人権侵害になるからです。他人を傷つけることさえなければ、どんなに風変わりでも問題はなく、1人や数人の好みによってそれが左右されるべきではないと、カナダの学校の先生は知っています。生徒も教師と対等な立場にあるからと言って、無礼で良いわけでもありません。カナダでは自分の思ったことは表現していいですが、わざわざ相手を傷つけにいく必要はないと、生徒も幼い頃から受けている教育の中で学んでいます。
 友人関係や特に恋愛関係になると、さらにこのリスペクトの概念が必要不可欠になってきます。もともとは赤の他人だった人間が、その他の人たちよりもお互いのことを気遣うようになるのが友人や恋人という関係性の特徴です。その時に理解できないことも出てきます。理解できないことの方が多いです。相手のことを好きだと理解したいと思う気持ちが強くなるので、自分が理解できない、共感できていないという状況に辛くなったり悲しくなったりするものです。本当に価値観が大きく違って双方に悪気がなく、それでもお互いを傷つけてしまうなら離れた方が幸せになれます。しかし少しの違いなら、リスペクトをするだけで気持ちが楽になる可能性があります。相手を変えようなどとは思わず、ただ自分とは違うんだと自分に言い聞かせればいいだけです。
 無理をしないことの大切さをカナダでは身をもって思い知りました。リスペクトするという新しい概念のおかげで、自分を抑える必要がないと思える理由をまた一つ手に入れたので、さらにパワーアップした気分です。日本に帰って来て、高校やその他の場所でもしんどい、合わないと感じることがあっても、リスペクトがあるかどうか、自分が相手をリスペクトできているかどうかをまず見直してみることで、なんとかやっていける気がします。今の年齢でしかできないこと、今の年齢だから得られるチャンスを確実に掴んで、幸せになりたいと思います。
 経済的に決して余裕があるわけではなかった時期に、人に恵まれチャンスに恵まれ、さらにそれに乗っかることができる運にも恵まれました。将来余裕ができたら、私がしてもらったように誰かを全力で応援できる大人になりたいです。

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