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『Tropical Night / 熱帯夜』短編4/6

 熱中症をひきおこす熱帯夜の連続記録が、今夜も更新されたことはまちがいなかった。歩いているだけで足の裏が汗ばみ、ミュールがぬげそうになる。あたしは暑さにうんざりしながら駅前のタクシー乗り場にむかった。終電はおわっているけど、いつもどおり客待ちのタクシーがいるのにホッとして、ロータリーに入る横断歩道をわたっているとき着メロが鳴った。ルルからだった。
〈ルル、いまどこ〉
〈ツヨシがヤッたって〉
〈えっ、なに〉
〈ツヨシが、ママをコロしたって〉
 あたしは足をとめ、ケイタイをにぎりなおした。
〈ルル、イエスかノーでこたえて。いまツヨシといっしょなの〉
〈ノー〉
〈あなたひとりなのね〉
〈うん〉
〈いま、どこにいるの〉
〈タチカワのマック〉
 ルルがいるのは南口のマックだった。
 あたしはロータリーに入り、植え込みのあいだに置いてあるベンチにすわった。
〈ツヨシがやったって、だれが言ったの〉
〈ジブンで、デンワでそういったのよ〉
〈電話で話したのね〉
〈ケイさんに、なんどもデンワしたんだよ〉
〈ゴメン、警察にいたからケイタイの電源を切ってたの〉
 パトカーに乗せられて警察署にむかっているとき、バッグのなかで着メロが鳴った。公衆電話からだった。となりには肩をたたいた木田きだ刑事が、助手席にはパンツスーツの鯵坂あじさか刑事がすわっていた。あたしはスミマセンとくびをすぼめ、ケイタイの電源を切った。
〈ワタシもデンワするときだけデンゲンいれてた。そしたらツヨシからメールとかデンゴンが、いっぱいきてて〉
〈ツヨシは、なんて〉
〈ママとハナシをつけるって〉
〈どういうこと?〉
〈ママにシャッキンがあるからケッコンできないっていったの〉
〈ママに借金なんかないでしょう〉
〈ないけど、ツヨシがシツコイから〉
〈彼のこと好きじゃなかったの〉
〈スキだけど、ツヨシ、オカネない〉
 たしかにと思ったとき、幹也の顔が一瞬うかび、あたしは手のひらで、ひたいの汗をぬぐった。
〈それは、いつのはなし〉 
 ツヨシのメッセージが入っていたのは7時2分。コウはマックの前で電話しているツヨシを見かけたと言っていた。時間は七時ごろ。マックからスカーレットまでは十分とかからない。ツヨシはルルにメッセージを残したあと、スカーレットにいったにちがいない。
〈それで、ツヨシはママに会いに行ったのね〉
〈そしたらケンカになったって〉
 めまいがした。ママに会いにいったツヨシが、どういうふうに話しをつけようとしたかはわからないけど、とうぜんママは知らないとこたえるし、ツヨシはとぼけるなと言いかえす。そんなことから口論になり、ついカッとなってしまったのかもしれない。
〈ツヨシは、自首すると言ってた〉
〈いっしょに、ニゲてくれって〉
〈あのバカ! ツヨシは、どこにいるの〉
〈しらないよ〉
 あたしはひとつ息をついて、髪をかきあげた。
〈ルル、これは大事なことだから、はっきり答えてね。そのメッセージがきたとき、ルルは、どこにいたの〉
〈ホテル〉
〈えっ、買物じゃなかったの〉
〈カイモノしてから、ホテル〉
〈だれと〉
〈カガさん〉
 加賀はスカーレットにくるルル目当ての客の一人。金払いは悪くはないが、恐い奥さんと中学生になる息子がいる。
〈なら、ホテルには、なん時に入って、なん時にでたの〉
〈6時にはいって、8時にでるつもりだったんだけど、カガさんがエンチョウしちゃったの。オミセがあるからエンチョウはダメっていったのに〉
〈ルル、延長はどうでもいいの。けっきょく、なん時にでたの〉
〈8時ハンごろ。アタマにきたからさきにでてきた〉
〈加賀さんは、いまどこにいるの〉
〈しらない〉
 ルルはわかっていない。加賀の証言が自分のアリバイになるということを。それでもひとまずホッとして、あたしは言った。
〈ホテルをでてから、いままで、どこにいたの〉
〈ルミネとか、グランデュオとか……〉
 あたしに電話してから四時間以上、ルルは街をさまよっていたようだった。
〈ごはんは食べた?〉
〈チーズバーガー3コたべた〉
〈すごいわね〉
〈えへへ〉ルルは、こどものように笑った。
〈ルル、よくきいて。いますぐ警察にいって、ぜんぶ話すの〉
 ルルが唇をかむのがわかった。ためらう気持はわかる。彼女は不法滞在で不法就労。ただでさえ警察には近づきたくない。そのうえ彼氏が犯人で、犯行の動機にしてもルルがついたウソからきている。そしてさらに面倒なのが、アリバイを証明する加賀とのことが、売春とみなされないかということ。じっさいそうなのかもしれないし、妻子持ちの加賀が警察になんと説明するかもわからないけど、ひとたび売春とみなされれば、ルルはフィリピンに還され、このさき十年、場合によってはもう二度と日本にくることはできない。
 あたしは目をとじ、やさしく言った。
〈加賀さんに、なにを買ってもらったの〉
〈スピーディーの25〉
〈まえから欲しがってたバッグじゃない。どこで買ったの〉
〈プラウド〉
〈だと思った。加賀さんが高島屋にいくわけないもんね〉
 ルルの笑い声がきこえた。
 『プラウド』は質屋が経営するブランド品のセレクトショップ。買取もしてくれるので利用している女の子たちも多い。
〈でもシンピンだよ〉
 きょう初めてきくあかるい声でルルは言った。
〈フクロもついてるし〉
〈お客さんに買ってもらったモノを、袋のまま持ちこんだのね〉
〈ワタシは売らない。ぜったい売らない──〉
 声が途切れたのは、泣いているからだった。
〈ルル、ルル〉
〈ケイサツってどこにあるの〉
〈マックのとなりに交番があるでしょう。コウバン、わかる?〉
〈わかる〉
〈そこにいって、自分の名前と店の名前を言うの。できるわね〉
 あとは警察にまかせるしかない。あたしは手首に目をおとした。十二時四十五分だった。
〈おわったら電話して。家にいるから。なん時でもいいから〉
〈わかった、デンワする。ケイさん、ゴメンネ〉
 あなたがあやまる必要はない。そう言おうとしたけど、伝えるまえに通話は切れてしまった。

〈つづく〉



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