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無神論と言う罪

あるカトリックの学びの中で、「無神論」について考えさせられました。
無神論の形は唯物論的な形態(精神的なものに対する物質的なものの根源性を主張し、精神的なものはその現象ないし仮象と見なす認識論的、形而上学的な立場。)であったり、無神論的ヒューマニズム(あらゆることを人間中心に考えること。)であったりして、宗教は人間解放を妨げると考える。
彼らは死後の世界を信じず、宗教は、永遠の生命への希望を餌にしてると思うらしいです。
無神論と言いながら何かに依存しているなら(たとえそれが「自分自身」であっても)、それは「無神論」とは言い切れない感じがします。
神を信じるものとしては、強い虚しさを覚えます。
自分が実はとても「愛されている」ものだと知るならば、人生の多くの時間をもっと喜びと幸福感をもって過ごせるはずです。「愛される」ことが快適であるならば…神を否定することは「愛されている」ことに無関心であると言う事です。

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