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人生に必要な出会いは一つではない。

家族3人。夫、娘、私。今は仲良く暮らしている。
でも娘が小学校の時は、うまくいっていなかった。当時私は学校の言われるままに娘に勉強させたりいろんな習い事をさせていた。夫が仕事で家におらず、私の話を聞いてくれなかったし、学校の宿題に追われた娘が夫とつるんで私を仲間外れにしようとした。

当時は娘の将来のためを思って、正しいと思っていたことをやっていたのだけど、それは家族に受け入れられなかった。
中学に行った娘が勉強で落ちこぼれて、精神のバランスを崩した時に、夫が仕事から戻って、私は娘に勉強をさせるのをやめた。娘は普通高校というスタンダードコースから外れ、専門学校行きになった。
子供の頃から娘を見ていた私は、自然の成り行きだと思って受け入れたが、夫は普通のコースを外れたことに動揺して感情的になっていた。でも運命はなるようになるもので、娘はいま学校生活に満足し、夫は少しは家を省みるようになり、私は以前ほど、家庭の義務に縛られなくなった、つまり、お母さんであろうと頑張るのをやめたのだ。

でも3人というのは、難しい。メンバーの誰かがうまくいかなくなると、もう一方のメンバーとつるんで、仲間外にしたり、いじめたりする不安定さがある。

実は実家でも、父が母と弟のまとめ役だったのだが、父が病気になり、弱くなりだすと母と弟がつるんで、父の望まない方向へ追いやった。そうなるということはもともと、その家族に絆がないということでもあるのだけど、ちゃんと心を通わせていないと、仲間割れしたり、いじめられる可能性はいつも孕んでいるのだと思う。

今は私は実家には帰らない。父の介護を乗り切った母と弟は夫婦同然となり、私の居場所は無くなった。つまりもう、私の家族は機能しなくなったのだ。

いつまでも父であること、母であることは、しんどい人にはしんどいものだし、もともと家事や親戚付き合いを嫌がっていた母は、ノリの良い弟と恋人同然に暮らす方が楽しいだろう。そしてそれを、父の葬式の時は親戚に楽しそうに話しているところが非常識すぎて、私はまともにいられなかった。父はこの二人に挟まれて、どんなに大変だっただろう。同情しかない私は、少しでも労うために父の墓参りに行く。

今私の家庭は3人だ。しかし親が子供にエゴを抱くと、価値観を押し付けたり、子供をコントロールしようとする。私も夫も同様だ。だから適度な距離を取りながら、子供と付き合っている。

ずっとチームでいると、私と夫は男と女であることを忘れていく。40代はそれが辛かった。私が甘えたい時に、夫は甘えさせてくれなかった。彼は彼の仕事で忙しく、女の心に向き合っている余裕はなかった。もともと夫は、私のそんな依存的なところが嫌だったのかもしれない。そんな中、SNSでであったインドの男の子に私は深く癒され、絆を育てていった。

あれから6年が経ち、家庭も落ちついたが、私はその男の子と今もつきあっている。社会や経済のこと、スピリチュアルな話をしたり、疲れた日にも声をかけ合う彼は、「あなたの夫になりたかった」と言う。そう言ってくれる人と今一緒にいられる私はとても幸せだ。
年齢差もあり住む国も違う私たちはそんなことはできないけれど、彼がいなければ、私は女としての大変な時期を乗り切れなかった。これは本当に、運命的な出会いだったと思うし、心から感謝している。

今の時代、既婚の人が他の異性と付き合うとすぐに不倫だとか騒がれるけど、人生に必要な出会いは一つではないと思う。人生の岐路で、道標になってくれる人、困難から救い出してくれる人、心を開いていれば、必要な人に出会って、新しい人生の扉を開けてくれる。そんな可能性をいつも持っていたい。
絆は意識して作るものではなく、日々の積み重ねでできていくものだ。人を利用したり、自分を犠牲にしたりしていると、絆は築かれず、重荷になっていく。だからどんな時でも、愛と思いやりを持って人と接しようと思っている。

夫との関係は、落ち着いたものだけど、セックス がないと私もふわふわと揺らぎやすい。まだどこかで誰かと出会い、インスパイアされるだろう。これも私の運命だろうか。
娘と楽しくやっている夫を見ていると、もし私の身になにかあっても、二人で仲良くやっていってくれるだろうな、と思う。そう思える余裕がある自分でいたい。私自身も、どんな時も自分の幸せを選べるよう身を軽くして生きていたいと思うから。

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