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絶対の安心が壊れる時。

今日夫に「自分らだって、老後娘が会いにきてくれなかったら寂しいのだから、お母さんに会いに行ってあげたら」と言われた。
私は父が早死にした理由は、母が父に対し干渉しすぎたからだと思っている。そして母が来てくれといったからって、いく気になれない。今度は私がサンドバックになるからだ。それがわかっているから、夫の「私に行ってあげたら」という普通の感覚では家に帰れない。

母はなにかしてもらうことに感謝がない。どんどん要求が増してくる。今弟と一緒にいてどう何かわからないが、一つの寿司を二人で食べていたから、共依存状態なのかもしれない。
共依存には、もう関わりたくない。私たちの人生、生活を脅かされたくないのだ。

このような感情を、仏教では疑念というのだろうか。

このような、脅威、というか、恐怖というか、罪悪感というか、これらが混じった、硬くて重い感じは、どこからくるのだろうか。

20年後をシュミレーションしてみる。キーボードを打つ指が細くなり、動かなくなり、足がふらつき、トイレにも一人でいけなくなって、生活がままならなくなったら、私はどのように死ぬのだろうか。

一人で亡くなる人も多い。家族も身寄りもなく、お金も、頼るところもないまま。
私だって、今は家族がいるが、20年後はわからない。何がおこるかわからない世の中だから。

ふと、毎日聴いている仏教の法話で、これが人間の根本的な不安だということ、この不安を打破することを、「無明の闇を破る」ということだといっていたことを思い出した。


父はホスピスに運ばれる前、家でどのような状態だったのだろうか。母と弟は私と連絡を取ろうとしなかった。いつもはやたらと喋るくせに、肝心な感情は語らない母だから、当時は相当、家で重いことがあったのだろうと思う。
病院から帰ってきて、ホスピスへ行くまえ、懸命に介護した母と弟には、父は、ありがとうも何も言わなかった、と、母は嘆いていた。私は父が、母と弟に心を閉ざしていること、その理由は分かったが、そのことを伝えても母は聞き入れないっだろうと思っていた。

この家には、心の通い合いがない。皆自己主張ばかり強くて、受け入れ合うことがない。そんな歴史があるから、弱くなって助けてと言われても、老体の嘆きをぶつけられサンドバックになると思うと、体が実家に向かう気がしない。

育ててくれた感謝はあるし、良い思い出もあるが、また当時の呪縛に引き戻されることを固く拒否していることで、痛烈なダブルバインドとなっている。

父と母に何があったのだろう。私と母に何が起きているのだろう。私は親に絶対の安心を求めていた。母と父もお互いに絶対の理想を押し付けていたのではないだろうか。それを最後まで答えようとして、叶わなかった。失望とともに、手放す結果になった。

そして私も、絶対安心の家を失った。母は、私の帰る場所ではなくなっていた。ただの弱い女で、煩悩を抱えて悲鳴を上げている老女だった。

現実に失望感が拭えない。絶対安心の存在であろうなんて、非現実的だ。だから、絶対の守護、絶対の支配者であろうとすることは、ナンセンスだ。このことが深く胸に刻まれ、私はバラバラになりそうなのを踏ん張っている。

親と子、ではなくて、単なる命のつながり、としてみて、私は何をすべきなのだろうか。弱き者、強き者は移り変わる。生き様や行動の結果は現れる。
今、強いものが、弱いものになすべきことはなんだろうか。

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