暖かい日差しが差し込み、空気の中に花の香りが溶け込む季節になりましたね(*ˊᵕˋ*) 私は春生まれなので、春がとっても好きです。 なので、毎年この時期は特別なことがなくても外に出て花の香りを感じれば心がワクワクしてきます( *´꒳`*) ↓↓↓↓ さて、今回のお話は予測不可能な未来についてのお話になります。 皆さん、本の中や音楽の歌詞の中、あるいは有名な方の言葉で「一人一人自分の色があって、それぞれ皆違うのが当たり前」という言葉を聞いたことはありませんか? 私はよ
君は嘘をついていないという。でも、私からみたらそれは嘘で。 人は皆、自分の視点しかもっていない。どれだけ文献を読んでも、人の気持ちを聞いても、それを受け取るのは私だから。 どれだけ足掻いても、私達は主観的にしか世界を見れない。
様々なことを悩み、グルグルと考える。そんな中ふと気付いたことがある。私が考えていることの8割りは考えても何も解決しないことばかりだと。なら開き直って、その事実を受け止めよう。そうすることしかできないのだから。
「感謝」というお返しを望んで、誰かに貢献する自分が少し嫌だけなったことがある。そんな自分が少しだけ汚く見えた。けれど、それでも人のために何かをしたいと思う、優しい自分が私は好きだった。自分を好きになるのはどんな角度からでも良いと思う。例えそれが、一般的に大した事じゃなくても。
劣等感を感じた時、それは自分と他人を比較している時。 私は私であなたはあなた。 これを自身の劣等感を守る盾として使ってしまう時もある。 真に自分を認めてあげるということは、自分自身を人と比較するしないということ、それ自体をまずは意識しないことから始めるべきなのでは無いだろうか。
家の庭に出て、地面の土を触った。 冷たくて湿っていて、手が黒く汚れる。 土独特の湿った匂いがした。 ふと、幼稚園の頃に泥団子を握っていたことを思い出した。 手が汚れることも気にせず、夢中に作っていた幼稚園児の自分。 あの頃と、世界や自然は何も変わっていない。 変わったのは、私だ。
冬もそろそろ本格化してきましたね。 先日外に出た際には、とうとうマスク越しに吐いた息が白く染まりました! と、余談はここまでにして。さてさて……今日のお題はタイトルにも書かれている通り 「自然」 になります。 今日も今日とて自分の考え方をボソボソと呟いていくので、それが少しでも皆様の日々の安心材料になれれば嬉しいです(*´﹀`*) それでは、本編へレッツゴー!! ↓↓↓↓ ふと、自分って小さい世界に生きてるなあ……なんて思う時がありませんか? 学校の中、家族の中、
誰かに愛を求めてしまうのは、自分が自分を愛せていないからなのではないだろうか。 私の代わりに、私の良さを見つけて。 私の代わりに、私を愛して。 自分を自分の愛で満たせている人は、きっと人からの評価(愛)なんて気にしない。 なぜなら、最も愛してくれる自分が身近にいるのだから。
相手の目に見えない裏の努力を知ったら、その相手に対する考え方も変わるのではないかなと思う。 嫉妬心を抱いている矛先の相手も、自分が凄いと感じるから嫉妬するわけで。 羨ましいの先にあるその努力の存在を認めて、ただの嫉妬ではなくそれを自分の努力へと変換できる力を身につけたい。
人の思い込みの力はすごい。 癌がないのにお医者さんに癌があると判断されたある人が「癌があるんだ……」と思い込み、本当に癌が出来てしまったという話がある。 思い込むなら良い方向へ。引き寄せるなら幸福を引き寄せたい。
紅葉してる落ち葉が地面を埋める、クリスマスが近い時期になりましたね。 日々の寒さに厚着が止められません( ´・ω・`) 本日は価値観について話していきたいと思います。 といっても、そんな凄い話などではなく私のボソボソとした呟きのようなものです。 ただ、それが皆様の共感できる……安心材料になりますように。 今回の結末を一言で言うと…… 「人と自分を見比べなくても良いんだよ」 というものです。 そういう私も正直なところ見比べまくってる当事者なんですが、見比べまくって
家族の中の自分。友人の中の自分。組織の中の自分。日本人の中の自分。地球人としての自分。どれも「自分」で、その中でどの「自分」として見るかは人それぞれ。それによって世界の広がり方は変わり、見え方も変わってくる。自分を肯定できない時はその広がりを大きくすると以外と肯定できたりもする。
虚構の言葉なんて、いくらでも作れてしまう。 飾り立てて。 派手なものから、地味なものまで。 その中で、心からの思いを言葉にするのはとても難しいことなのではないだろうか。 感じたことを、そのまま言葉にする。 感情を口にしてみれば自分の思いとはズレていたり。 どこか、違っていたり。 奥に仕舞われている思いを言葉にしようとすれば、支離滅裂になって四散してしまう。 他の人と自分の中で認識の差異が生まれることもある。 言葉は意識して初めて生まれるものもある。 言葉は無意
澄んだ空気の中香る冬の木々の香りに、心が満たされて幸せになる瞬間がある。 そして、そこに幸せを感じられる自分に幸せを感じる。 自然と共に生きているということをふと思い出して、世界と共に心が広がる感じがする。 一瞬だけど、こういう自分を愛してあげようと思える素敵な一瞬。
ふと、苦しくなる。 自分が分からなくなって、誰にも必要とされていないのだと思ってしまう時がある。 けれど、必要とされることを相手に求めるのは違うのでは?とも思う。 相手に求めてもその人の思考は変えられない。 けれど、自分のことは変えようと思えばいくらでも変えられる。 人は人がいなければ生きていけない。 人に助けられ、人を助け、生きている。 ぶつかり合って自己を形成していく。 一方的に、「人に求める」ことは違うかもしれない。 けれど、人に求めてもらうために自分を
些細なこと。 電車に乗ってて、自分も読んだことのある本を電車の中で読んでいる人がいたら嬉しくなる。 今どこ読んでるんだろう……とか。 もしかしたら読書の趣味合うかも……とか。 たった一冊だけなのにこんなことを考える。 こういう、些細な幸せを大切にしたい。