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2.堂道、新天地!①

 引っ越しや新しい職場環境に堂道の身辺が落ち着くのを待ち、糸が実際に強行突破したのは離れ離れになってから三ヵ月後のことだった。

 その間も連絡は取っていた。
 とりとめもないメッセージを毎日送った。以前のように無視はされなかった。わりとマメに返事がきた。
 しかし、「会いに行っていいですか」にはダメの一点張りで、そのうち、NOのスタンプ返しだけで済まされるようになったので糸も尋ねなくなった。
 来られて困るようなことでもあるのかと、勘ぐりたくもなる。


 その日も半休を取り、支社の近くのコーヒーショップで待った。

 緊張していた。
 約束もなく、堂道に会えるだろうか。
 残業は構わない。退社が遅くなるのは待てばいいだけだが、例えば泊まりで出張だったり接待だったりしたら、今日は空振りに終わってしまう。

 しかし、それならまた出直せばいい。
 一番心配なのは、会いに来たことを何と思われるだろうかということだ。

 そんな根本的な懸念を端から無視して来たとはいえ、糸だって無神経なわけではない。

 勝算が少なからずあったとしても、別れたいと言われた相手――しかも年上で上司で付き合いも浅い――に対して、ずかずかと積極性を前面に出していけるほど鉄のハートも持っていないし、ドMでもない。
 そこは『若さ』を盾にして、実際は頑張って無邪気な女のふりをしているだけだ。
 やりすぎていないか、本当の本当は嫌われているのではないかと、いつもびくびくしている。

 一応、近隣のホテルの空室を確認しつつ、定時を一時間ほど過ぎた頃、堂道にラインを送ってみた。

『今、会社の近くのドドールにいます』

 すぐに既読が着いた。

 不安と期待が入り混じっていたが、それ以上にサプライズのいたずら心が勝って、なんて返ってくるだろう、とほくそ笑みながら堂道からの反応を待つ。

 糸は歩道に面したガラス窓のカウンターに席を取っていたが、目の前を人影が通ったのと堂道の怒鳴り声が聞こえたのとタイミングに大差はなかった。

「おい! 何やってんだ!」

 店の中なので、営業部のフロアに響き渡っていたような怒声ではないにしても、十分に大きな声だ。

「え、あ、会いに、きました。あの……すみません。急に……来ちゃって……」

 堂道の剣幕に、さすがの糸も驚かせようなどと笑っていられなくなった。

 しばらく会えていなかった時間と距離と、今の不安定な関係が、かつての恐怖心を呼び覚ます。

「ご、ごめんなさい、ダメ、でしたか……?」

 転勤したてで立場も外聞もあるだろうから、確実な方法ではあったが、支社を訪問するようなことはしなかったのだけれど。配慮したつもりだったけれど。遠慮したつもりだったけれど、調子に乗っしまったか。図々しかったか。
 やっぱり、堂道は本気で別れたかったのか。

 左遷や転勤を負い目に感じて、糸のためを思って身を引いたと解釈していたのは、都合のいい勘違いだったのか。

 久しぶりに見る堂道は変わっていなかった。

 堂道は、手にスマホを握りしめ、カバンも持っていない。

 足元は、おそらく本社で履いていたのと同じ紺のクロックスで、相変わらず、社員IDを胸ポケットに入れて。

 ここで拒絶されたら、本気で、一生分の勢いで泣くだろうと思った。

 それくらい、もうどうしようもなくこの人が好きなのに。

「とりあえず、もうちょいここで待っとけ。帰る準備してくるから」

「はい……」

 堂道の出て行った後の店内で、糸は力なく椅子に腰を落とした。

 素直に歓迎はされないと覚悟はしていたが、予想以上に迷惑がられている。

 もしかしたら、嬉しい顔をみせてくれるかもしれないと、どこかで期待もしていたのに。

 しかし、この三か月間はドタバタだったのと、負けん気を奮い立たせることに必死で気にしないようにしていたが、堂道が東京を離れる時にはもう糸が関わることを許されなかった。

 終わりだと告げられたリバーサイドで、糸は泣きもせず、「引っ越し手伝います」と言った。

「いらん。お任せパックだ」

 堂道は意地悪に笑った。

 本当に別れるつもりは糸にはなかったし、甘く見ていたから、堂道の家に置いていた数少ない荷物を送ると言われたときは、はいそうですかと答えたけれど、関係は突然に彼氏と彼女でなくなった。

 家の行き来も、食事も、手をつなぐこともキスもセックスも、後になって思い出した時、どれかもわからないそれが最後だった。
 最後だとわかっていたらもっとすべてを味わったのにと後悔しても遅い。

 スマホを見る。
 言い残して戻った堂道からの連絡はない。

 まだ夜の早い時間だったから、今日中に帰ることも考えて、新幹線の時刻を調べた。

 つきあっていた(糸的には現在進行形だが)頃の堂道は予想を裏切る紳士ぶりで、優しい理想的な彼氏だったが、確かに付き合う前はそれは驚くほど冷たく、つれなかった。

「……昔に戻ったと思えば耐えられるかな」

 さすがに、食事くらいはつきあってもらえるだろうか。


→ 堂道、新天地!②へ続く



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