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3.堂道、鉄パンツ!①

「それから二回突撃して、明日また行くの」

 安い居酒屋は混み合っている。
 小夜と草太に語って聞かせると小夜は涙をぬぐう真似をした。

「糸、無敵すぎだよね。けなげで泣けてくるわ」

「糸ちゃん、それ絶対ゲシさん嬉しいから。喜んでるから」

「そうだといいなぁ」

 糸は言って、生ビールをぐいと煽る。
 最初にアポなしで訪れてから、糸は一か月に一度の割合で堂道を訪ねている。

 一回目は前述のとおり追い返され、二回目はダメもとで告知ありで行ったら、不機嫌なままではあったが新幹線の駅でお茶だけは飲んでもらえた。しかしその日のうちに追い返された。
 三回目は、夕食だけは一緒に摂ってもらえた。
 そして、明日は四回目。
 本当は毎週でも行きたい。
 しかし、安月給の一般OLの財布に往復の新幹線代はなかなかつらい。それを嘆けば、だから来るなと言われるのは目に見えている。

「しかし、夏至さんメンタル強ぇなー! 普通、好きな子にそんなのされたらもうヤバイからね。俺だったら帰るって言われても帰せないよ」

「堂道課長が草太君みたいにこらえ性がなかったらよかったのにねー」

「……私は鉄の自制心を持つ堂道課長も好きだからいいの」

 もちろん糸だってせっかく行くのだからイチャイチャしたいけれどハードルは高い。
 なにしろ「別れた」「別れてない」問題は引き続き係争中で、双方、自分の主張を押し通している。
 日頃やり取りするメッセージの中でもたまに話題として出るが、依然として平行線のままだ。

「意地っ張りっていうか頑固っていうか。その辺はもうさ、あいまいでよくない? なんとなく付き合ってるようなないようなーとかでいいのに」

「えー? それは男としてダメでしょ?」

「うんうん、堂道課長って白か黒、ゼロか百のタイプだもんー」

「ゲシさんもなまじ体育会系で根性鍛えられてるからなぁ。そんなとこで根性見せなくてもいいのになぁ」

 草太は腕組みをして言った。

「素直になったら負けとか思ってそう、堂道課長」

「ま、わかるけどね、俺は。糸ちゃんを縛れないゲシさんの気持ち。責任感強いから余計にそう思うのもわかる」

「どこかで性欲発散とかしてないよね!?」

 糸に前のめりに向かってこられた草太はやや引いて、

「まあ、夏至さんもアラフォーだから……性欲は年々右肩下がりだろうし……その辺は心配しなくても大丈夫なんじゃないかなぁ」

 とそこで、糸のスマホが着信を知らせる。

「わ、堂道課長からだ! ちょっと出てくるね!」

 慌てて席を立ち、店の外に出た。

 糸から電話をかけることはあるが、向こうからかかってくるなんて、遠距離恋愛になって初めてかもしれない。

「え、え、え。どうしたんですか」

『明日、来るって?』

 そこで、はたと気づく。もしかすると、直々の来訪拒否の電話なのかもしれない。やはり本当の本当は嫌がられているのか。
 とたんに勇気がしぼむ。

「……だめ、ですか?」

『ダメって言っても来るんだろ?』

「行きたいです……。仕事で都合が悪いとかであれば改めますけど……」

『来んのかよー』

 堂道は電話口で大きなため息をついたが、冷たい声ではない。

『今、外?』

「ちょうど草太君と小夜と一緒です。また二人にお邪魔してました」

『三人?』

「ええ、三人です。作戦、練ってたんです。堂道課長を落とす方法」

 ふっと堂道が笑う。

『邪魔して悪かったな。じゃ、明日な』

 糸はその言葉に顔を上げ、ガッツポーズをした。

「よう」

 新幹線口で待つ堂道は、糸を見つけても笑顔の一つも見せなかった。

 しかし、そんなことはまったく気にならない。
 むしろ堂道は、緩んだ頬を隠すためにわざと怖い顔をしているにちがいないと思えるほどに、糸は浮かれていた。

 新幹線の車内で『迎えに行く』と連絡を受けたとき、飛び上がらんばかりに驚いた。

 メッセージを何度も見返したが、確かにメッセージは堂道から糸に送られたものだし、その証拠に到着時刻についても尋ねられている。

「なんでですか!? どうして!? 仕事は!?」

「早退」

「えええ、よかったんですか!? 無理してません!?」

 足元にまとわりつく犬さながらに、不機嫌な立ち姿でいる堂道の周囲をうるさく動き回ると、また更に嫌そうな顔をした。

「……仕事、今暇な時期」

「そうなんですか!?」

 異動はあったものの堂道に降格処分は下されず、支社での堂道は変わらず営業部の課長職だ。

 業務内容はそう変わらないはずだが、各地方支社は独立採算制を取っているので詳しいことはわからない。

「半休はお前もだろ」

「ええ、まあ、そうなんですけど……」

 結局毎回日帰りになるのだから、わざわざ会社を休む必要はないのだが、それでも金曜日の夜を目がけて訪れてしまうのには糸なりの理由がある。

 万が一、受け入れてもらえて週末をずっと堂道と過ごせた場合、少しでも長くいられるようにと考えているから。
 そしてもう一つの理由は、今の堂道の週末は、糸のために用意されていない気がするからだ。恋人でない相手の週末、つまり片思いの場合の休日というのは不可侵領域だ。
 スーツと私服で使い分けるように、ましてや生活が変わってしまった相手のプライベートにはなんとなく触れられなくて、金曜日の仕事の延長なら糸が来るのを許してもらえる気がしている。
 物理的な移動距離だけでなく、心の距離もすっかり離れてしまった。

「私はいいんです。有給使うときなくて困ってるんで……」

「友達と旅行とか行かねえの?」

「うーん、わざわざ有給使ってまではないですね。土日で行けるし」

 夕方の混雑する駅を、堂道の後ろについて歩く。

 再会のハグとまではいかなかったが、堂道の態度はそれなりに糸が来るのを前向きに待ってくれていたようで、駐車場に停めてあった車に向かうと、旨い店を調べておいたと地元の店へ案内された。

 まるで地元民のようにナビもなく運転する姿は、ずいぶん街に慣れたように窺えた。それもそのはずだ。転勤してもう半年近い。
 連れていかれた居酒屋は、メニューには郷土料理がたくさんあって、そのどれも美味しかった。
 駅からどこをどう来たのか糸には全く分からないし、観光客らしき層も見当たらず、ガイドブックに載っている雰囲気ではない。

「ネットで調べたんですか?」

「知り合いに聞いたんだよ」

「え! 友達できたんですか?」

「あー。最近、近所でやってる少年バスケの練習、見てる。週一回」

「えー! なんで!? めちゃくちゃ地域密着してるじゃないですか!? どうしてそんなことになったんですか? 聞いてない!」

「支社の女性社員の人がさ、俺がバスケやってたことをどこからか聞いたか知ったかなんか知らんけど、時間があるならって頼まれて」

「女性社員の人って、会社の人!?」

「そう言ってんじゃん」

「部下!?」

「まあ、そうだな。俺の課だし」

「えええ、なんで! 部下! 課長、会社で嫌われてるんじゃなかったんですか!?」

「……ほっとけよ」

 堂道はひきつった顔で言ったが、百パーセント否定もできないらしい。

「でも、確かに若い子には嫌われてんな、相変わらず。ま、中年の宿命だろ」

「あ。その人は若くないんですか!」

「少年バスケの男子のママさん」

「あー、ママさんなんですかぁ」

 安堵で笑みが穏やかなものになったのも一瞬で、
「シングルマザーだけど」

「え」

 炙ったたたみいわしを割っていた手が止まる。

 マヨネーズにつけて食べるのがおいしすぎて、さっきから一人でバリバリと食べていたが一気に食欲が失せた。

「……それ、社内不倫とかを心配するレベルじゃないじゃないですか……。ソレ普通に恋愛できますやん」

「なんで関西弁」

 堂道のツッコミにも、糸はショックで顔を上げられない。

「おい」

「……はい」

「やましいことがあったら、お前に言わねえだろ」

「……その方、おいくつなんですか」

「知らねえよ。女の人にそんなの聞けねえじゃん。まあ、普通に考えて四十代じゃね?」

「四十代……」

「そ、オバサンオバサン」

「今、読者を敵に回しましたよ……」

「だから読者って誰だよ」

「きれいなお姉さんも嫌だけど、同年代も嫌だ! しかもバツありって、普通に課長の理想じゃないですか!」

「別に理想ではないけど……」

「前にそんなこと言ってたもん!」

 堂道が再婚を考えるなら、バツありのアラフォー。
 まさのビンゴではないか。

「堂道課長は楽しくやってるんですね……。心配して損しました。やだ、泣きそう……」

 そこで糸は、はっと思い出したように顔を上げた。時刻を確認する。

「あの、ここから新幹線の駅まで三十分あったら行けますか?」

 習慣というのはすごいもので、なんの計算もなく糸はそう言った。

 持久戦だから、もう無駄な挑戦はしないことに決めたのだ。あらかじめ特急券を買っておかないのこそが、泊まりを諦めきれていない証拠だが。

 最終列車は二十二時前だ。
 そろそろ出ないと間に合わないかもしれない。

 それに、今は少し落ち着いて一人で考える時間が欲しい気がした。
 この地で堂道にあったらしい環境の変化は、おそらく考えれば考えるほど、悲しい現実には違いないけれど。

「毎度申し訳ないですが、駅まで送ってもらえるんでしょうか?」

 鞄を持ち、財布を手にしてそう言うと、答えまで短い間があって、堂道は持っていたグラスを置いた。

「……帰んの?」

「はい?」

「もう、遅いし」

「はい」

 時刻は二十一時十五分。確かに大人の夜にはまだ早いが。

「……客用布団、買ったし」

 堂道は酒も飲んでいないのに、かすかに赤い顔でそう言った。

Next 3.堂道、鉄パンツ!②へ続く

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