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6.堂道、ファミリー!①

「玉響サァン」

席の後ろに立った人に名前を呼ばれ、糸は振り返った。
 見上げると、見慣れた、けれど会社仕様の堂道次長。
 疲れた顔は、仕事が忙しくて残業続きだからだ。

「次長。なにか?」

「ちょっと」

「はい」

堂道の後についてフロアを出るのに、痛いほどの視線を感じた。みんなが固唾を飲んで見守っているのがわかる。

交際は、隠していないが公にもしていない。
 堂道が次長となって本社復帰後初のツーショットに、みんな内心でざわついているのだろう。もっとも、堂道に対してそれを口に出してひやかしたりする強者はいないが、空気を肌で感じたらしい。
 一蹴するような一言を放つ。

「別にいいだろうが。定時過ぎてんだろーが」

誰に宛てるでもなく、吐き捨てるように。

いや別にいいんですよ! 別に! 全く構わないんですよ! という全員の声なき声が聞こえた気がした。

糸も《《あちら側》》だったら、きっと同じように思っている。
 その上、堂道に連れられて行く彼女を奇異の目半分、憐み半分で見送っていただろう。
 なぜ、堂道と付き合っているのか、付き合おうと思ったのか、弱みを握られているに違いないと。

背中から見ると、ガニ股がいつもよりひどい。
 すたすたと言うよりはオラオラという歩き方で、もしかして照れているのかと少しおかしかった。

「ありがとうございます」

休憩室の自販機で、レモンティーをごちそうになる。
 加糖のレモンティーなど久しぶりだ。甘いが、冷たくておいしい。

「わざわざ会社で、どうしたんですか」

「や、急ぎっつーか。夜、電話っつても、なかなか時間なくて、ごめんな」

「仕事、忙しそうですね」

「しばらくはな」

転がり込んでいた糸のところから新しい部屋に引っ越しを済ませたので、今は別に暮らしている。
 確かにゆっくり話をする機会がない。

糸と新婚生活を送る家を新居とするならば、現在、堂道は仮住まいといえる。
 一緒に住むことを視野に入れて、新しい部屋を選んだらしいが、それはあくまでも同棲であって、結婚に際してのマンション購入を決めるにはあまりに忙しなく、それは一旦は保留となっている。
 横浜のマンションは、高値で売れるチャンスがあったとかで、いつの間にか売ってしまったらしい。

「それがさ、今度、うちの家族の集まりがあんだけど」

「ごかぞくのあつまり!」

「なんで外国人留学生みたいになってんだ」

堂道は眉間にしわを寄せる。

「オヤジの趣味でさ、定例っつーか毎年のことなんだけど、俺は行ったり行かなかったりで、結婚決まったら挨拶とか思ってたけど、今一応そうじゃねーから、そういうのはまた改めてになるだろうけど、集まるついでっちゃついでだな、って話」

「冬至さん、来ます?」

「なんでお前、冬至に興味津々なんだよ。既婚者だぞ」

「いや、そういう興味じゃなくて、次長と同じ顔とか興味ないわけがない!」

「なんか腑に落ちねえが……」

堂道は自分のコーヒーを飲み干して、紙コップをゴミ箱に捨てた。

「来るはずだぞ。メンバーは俺の両親と姉夫婦、弟夫婦と草太」

「草太くん?」

「家族ぐるみでつきあいあっから。で、佐代田さんも声かけるって連絡来て。今頃、草太が誘ってると思う」

小夜と草太は結婚が決まっている。

「行きたいです!」

「んじゃ、糸からも佐代田さん誘えば? 一緒なら心強いだろ」
 戻りは別々に、速足でフロアに戻ると、小夜もスマホを握りしめて糸を待っていた。

「聞いた?」

「聞いた! 緊張するけど、小夜が一緒なら楽しそう!」

「私も是非お邪魔したい! 堂道ファミリーが気になって仕方ない」

手を取り合って、女子高生のようにはしゃぐ。

「堂道ママどんなんかなぁ。『糸さん、あなたは堂道家の嫁にふさわしくなくってよ』とか系!?」

「えー、そんな系!?」

「そりゃそーでしょ!」

動きがピタリと止まる。

糸は顔色を失って、
「……わ。私、自分が反対されるかもとか、ふさわしくないかもとか微塵も考えてなかった。やばい……どれだけ能天気なの……」

「糸はここ数年、堂道次長と二人だけの世界で生きてたもんねぇー。ま、反対されることはないと思うよ、感謝されることはあっても。あの堂道次長の嫁に立候補するなんてジャンヌダルクかマザーテレサ以外にいないでしょ」

その辺りの事を堂道に聞いてみなければ、とスマホを出してラインを起動していると、小夜はうきうきして、
「ねえねえ、何着て行こうかな。婚約者が家族ぐるみで付き合っている先輩かつ会社の上司のご実家のパーティーとか、設定モリモリすぎてマニュアル対応不可案件」

「自分の服装より、私の考えてよ。どう考えても私の方が正念場でしょ」

「やっぱスカートはだめだよね? 捲れるし」

「捲れる?」

「だって、風強いでしょー? 日焼けとか、あ、水着か!?」

「風? 日焼け? 水着? 海なの?」

「船だよ!?」

「船?」

「ヨットパーティーだよ? 次長に趣旨聞いてないの?」

「ヨットパーティー!?」

「やっぱセレブだよねー」

糸は遠い目で呟く小夜を茫然と見た。

「ヨットパーティーってなんですかぁ! クルージングとかのあれ!?」

次長席で、上司に訴えるのは業務の不満ではなく、今度の家族の集まりについてだ。
 駆け込んできたかと思えば、堂道がなんだ、どうしたと聞く暇もなく、糸は泣きついた。

「ああ、オヤジが船持っててな。詳しくはあとで話そうと……っても、別にただのバーベキューだぞ」

資料に目を通しながら話す堂道には、やはりたいした事ではないらしい。

「……別世界の話です……。私のセレブ概念、せいぜい『持ち別荘でバーベキュー』が上限でした……」
 
「ちょろっと沖出るくらいの小せえ船だぞ。世界一周でもなければ、ドレスでダンスパーティーもねえぞ。豪華客船ならともかく」

たたみかけるように堂道は言った。

「……ちなみに別荘もある。お前の上限がそこなら、一応伝えておく」

「どうしよう……。私、すっかり忘れてたんですよ! 次長のご実家がお医者さんだって!」

「おい、おま、うるせえ。聞こえんだろうが」

堂道が焦ったように視線を上げて、まだ残業している社員が多く残るフロアを見る。
 お飾り程度にパーティションに仕切られているが、糸がその向こうにいることで中を気にしている人間は多いだろう。
 痴話げんかかと耳を澄まされているかもしれない。

「庶民的でいいじゃねえか、庶民なんだ。実家は裕福かもしれねえけど、俺はしがない給料取り」

糸はしゅんとなって呟いた。

「私なんかで大丈夫でしょうか……今更ですけど」

「は?」

「育ちは公務員家庭で、お華もお茶もお琴や日舞、何の嗜みもございません……秘書検くらいしか持ってない……」

「いつの時代の話だよ。茶華道よりも秘書検の方がよっぽど社会で役に立つだろ」

「何着て行ったらいいですか……」

「女の服とかわかんねえよ。佐代田さんと相談しろ。まあ、スカートはやめとけ」

「ヨット、パーティー、でググってみたら水着って書いてあるんですけど……」

「アホか! んなもん着てくんなよ!」

いつものフロアに響く大声で怒鳴られて、営業部全体に聞こえたことは明らかだった。

Next 6.堂道、ファミリー!②へ続く

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