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5.堂道、不合格!①

「人間、早々変われるモンじゃないよねー」

「あー、久し振りだわー。この不快感」

小夜と夏実が腕組みして眺めている。
 その姿は『腰かけ感』より『お局感』が出てきてしまったまさに中堅アラサーOL。

「昔、羽切さんにもらった耳栓、まだ引き出しの奥にあったような」

「糸の嫁になって多少はいい人間に生まれ変わったかと思いきや、イヤ、ほんと三つ子の魂百までって言った昔の人はエラいわ。堂道は腐っても堂道ってことな……」

堂道は相変わらずだった。

堂道課長あらため堂道次長となって東京本社に返り咲いた一日目。

個室ではないが、独立したスペースの次長席が与えられた。午前中こそ、静かに引継ぎを受けながら、『ついに赤い血が流れ始めたか』と思われたのも一瞬だった。
 午後から、本格的に仕事が始まれば、元の木阿弥。

「ダーカーラー、なんでこれがこうなるんだよ! おかしいだろうが!」

響き渡る怒鳴り声。
 パワハラで左遷された人のやることとは思えない。

「夏実、もう直属の部下じゃないじゃん」

「次長なんだから直属じゃないだけで部下に変わりなし。そういう意味では、糸だって、念願のホンモノの部下じゃん。オメデトウゴザイマスー」

糸の立場では直接、次長と仕事をすることはないだろう。
 けれど、一度くらいは、こっぴどく怒鳴られてみたいと思うのだから、糸も重症だ。

二人の交際は、堂道が東京を離れている間にじわじわ広まり、今や営業部ではほとんどが知っている。

本人がいなくなると、なぜか美化される人物像。
 糸の地道な布教活動の成果もあって、『英雄』とレジェンドを作るまでには至らなかったが、『普通にいい人』くらいの評価にはなっていたのに。

「お前ら、この二年一体何やってたんだよ!」

本当に成長がないというのか、ブレないと言えばいいのか。

「次に流される島はどこだぁ?」

「糸も苦労が絶えないねぇー」

「まあ、堂道かちょ……次長らしいと言えばらしいけど」

堂道のデスクからは糸の席は見えない。
 フロアで目が合うことが少なくなったのを少し寂しいなんて、糸は贅沢な不満を言いながら、堂道は本社に無事復帰した。

「で、糸のお父さんとお母さんの予定はどうだった?」

遅くに帰ってきた堂道を、糸は長年住んでいる狭いワンルームで迎えた。
 内示が出てから、次の住まいを決めるにあたって、相当スピーディーに手続きをしていたが、最短入居日が着任の日にどうしても間に合わなかったのだ。

その間、ホテルに泊まると言い出した堂道を、どうにか無理やり糸は家に住まわせた。
 確かに狭くて暮らしにくいというのもあるが、年下の女の家に転がり込めるかと言うのが昭和男の主張だ。

「今週の日曜でオーケーだそうです」

「了解」

堂道は冷蔵庫から缶ビールを出して、プルトップを引く。
 羽切たちと飲んでいたはずなのにまだ足りないらしい。

昨日一昨日までは、引継ぎはもちろん引っ越しなどで堂道は多忙を極めていて、落ち着いて話をするのは久しぶりだ。

「母には、二年前から彼氏いるよとは話してあって。でも、結婚はたぶん三年後くらいだからって。だから早まったのかって」

「お前、不確定要素なのによくそこまで……」

「有言実行というか、口に出しておけば叶うって言うし。まあ、最悪『もう親に言ったのに』って課長を脅迫とか泣き落としとかすればいいと思ってました」

平気な顔で言ってのける糸に、「女、怖ぇ……」と顔を歪ませた。
 
「俺がどんな条件かは言ってんの?」

「母には言ってます」

ふーん、と堂道は糸のベッドに座る。
 部屋にソファはないので、くつろげる場所がない。

「兄ちゃんはなんて?」

「普段から連絡取ったりはしないんで。この前帰省した時も、特に何も言われなかったから母からも特に聞いてないんじゃないですかね。父には、今度の挨拶までに話しておくって」

堂道は神妙な顔つきになった。

「兄ちゃんって、リーマン?」

「地元で教師してます」

「オトウサマは公務員だろ。おカタイなぁ……大丈夫かぁ、俺……。オニイサマは体育会系?」

「高校までバレーやってましたよ。今は社会の教師ですが」

「……それなら、同じ体育館の釜の飯同士だな……どうにか」

「バレーとバスケってどっちかというと体育館の覇権争いしてるイメージだけど……」

「アホウ。屋外スポーツに対しては共同戦線をはるのが、体育館のよしみってもんだ」

堂道はごろんと寝転んだ。

「緊張して胃がいてぇ。俺、上司受けもよくねえし」

「がんばれ、営業職!」

「まあ、セールスポイントが何もねえわなぁ。給料くらいか。ま、考えたって仕方ねえな」

堂道は肘をついて身体を起こすと、「糸」と呼ぶ。

「はい?」

「ちょっと来い」

そう言われて、わざわざ傍に行かなければならないほど広い部屋ではない。
 来いと言われたら、膝の上に乗るくらいの近さになることを意味する。
 ベッドに寝ている堂道の隣に座る。腰に身体が巻き付いてきたかと思うと、服の上から胸を揉まれた。

「いきなり……?」

「着替えてなかった糸が悪い。今日会社行ったままだ」

「どういう意味ですか!? 夏実とごはん食べに行ってて私もさっき帰って来たところで……」

いやらしい動きで、堂道の手が身体撫でまわす。
 引き倒されて、仰向けに転んだ糸に堂道がかぶさった。
 腰が引けている糸の唇を探すように堂道の顔が追いかけてきて、キスをされる。
 堂道の息が荒い。
 ニットがまくり上げられ、下着をずらされる。

「今日さァ、久し振りに一緒の職場で働いてるとこ見て、ムラムラしたわ。最近、俺の知ってる糸チャンはいつもよがってるからな」

「エロ上司。セクハラ発言です……次長」

「そーゆー設定、好きなのは女の方のくせに、よく言うぜ」

スカートの中に手が入った。

「あ、ちょっと……」

「オイオイ、濡れてんじゃん」

「……もう、そういうのわざわざ……言わないで下さいっ!」

みるみるストッキングとショーツがずり下ろされ、脚の途中で引っかかったまま、「スリルあっていいな、社内恋愛」

「スリルも何もみんな知ってるし……」

「今度、資料室でヤってみる?」

「も、ホントにやめてください。会社で、想像しちゃうじゃないですか……ばかぁ」

糸は想像してから、はっと我に返った。
 堂道を押しのけて起き上がる。はしたなく乱れた服のままで叫んだ。

「ってゆーか、次セクハラで左遷とかホントにシャレになんないですから! もうそれ、会社復帰できないやつですから!」

少し前まで堂道がいた地方とは反対の方向に、新幹線で一時間。
 休日にネクタイを締める堂道は、いつもと違って見えた。

コンペの時の三つ揃えの勝負スーツかと思いきや、真面目な色目で保守的な形の、その装いはまるで謝罪会見に赴くかのように地味だ。
 
 糸は大学進学時に上京したので、地元を離れて十数年になる。
 閑静な住宅街に、大きくも小さくもない戸建て。
 父と母、兄と糸の四人家族は、ごく普通の家庭だ。

「あらぁ、思ったよりお若いじゃないの! もっとオジサンかと思ってた!」

玉響家の廊下で、堂道の後ろを歩く糸の腕を捕まえて、耳を寄せてきた母は興奮気味だ。

「お母さん、丸聞こえだから……」

父は一言で言えば、うるさくも言わないが存在感もない。
 母はマイペースでおしゃべり好き。
 本当に、特筆すべきことのないごく普通としかいいようのない両親だ。

リビングに通された堂道は、父と向かい合うと、ジャケットの内ポケットから、釣書と書かれた封筒を取り出した。

「本日は、糸さんとの結婚をお許し頂きたく参りました。本来ならば、事前にお渡ししてからご挨拶にお伺いすべきでしたが遅くなり申し訳ありません」

「……そんなの用意してたなんて、聞いてない」

抗議するように隣を肘でつつく。
 悪い事ではないにしても少し驚いた。事前の相談はなかった。今日の挨拶に際して、根まわしや打ち合わせめいたことはなにもしていない。

「ご丁寧に。今、拝見してもよろしいですか」

「もちろんです」

父は早速封を開け、老眼鏡をかけた。
 同席していた母も興味津々で父の手元をぞき込んでいる。
 
「……G大附属中高からH大。エリート街道まっしぐらですなぁ。ほう、高校理科の教員免許をお持ちですか。うちの倅も中学で教師をしておりますが」

「……今日、お兄ちゃんは?」

「後で来るって言ってたわよ」

女同士、一応は声をひそめて話をする。

「ご実家は……なんとお医者様……ですか! 失礼、医学の道は志されなかったのですか?」

「弟の方が優秀でしたもので」

「ちがうよ! 堂道かちょ……堂道次長は性格的に向いてないの。優しすぎるから!」

「いえ、ただの言い訳です」

堂道が優しそうな口調で言い、穏やかな笑顔で笑うが、糸には不気味でしかなかった。
 しかし、仕事の、といっても社外で取引先に見せる顔はこんなふうなのか。新しい発見だ。

「転職されて今の会社に……。前はさらに大手におられたみたいですが、なぜ会社を変わられた?」

「ちょっと、お父さん、それ関係ある?」

糸は不安になってきた。予想していたはずの展開とは違う。

堂道は糸を制してから、
「前職では、離婚した妻が同じ職場におりましたので、さすがに居づらく」

「ということは、離婚はあなたの方に問題があった、ということですか」

「お父さん! もうこれ圧迫面接でしょ!」

父も仕事の時はこんなふうなのかと初めて知った。
 糸のなかの父は、不平不満主義主張その他も含めて、家庭ではあまり発言もせず、いつも母の「いいわよね、お父さん」に「ああ」と頷くだけだったからだ。

「不名誉なことでお恥ずかしいのですが、私が、半年ほど出張で他県に単身赴任しておりました間に、元妻に不貞がありました。許せなかったのは、私の狭量さゆえです」

「昭和五十四年生まれ……。糸とは十四、五も違いますか」

「はい。私は、今年四十二になりました」

「四十二……」

「年の差なんて気にならないから」

「糸は黙っていなさい」

怒られ慣れていない父に厳しい口調で言われ、糸は思わずすくんだ。
 仕事の営業とは違い、堂道からは何も喋らず、父の次の言葉を待っている。

気まずい時間は、実際にはどれくらの長さだっただろうか。
 長く感じた。堂道にとってはもっと長かっただろう。なんとか切り抜けたいが、糸には駒を次に進める手がわからない。

糸が焦って母にSOSの視線を投げた時、父が絞り出すように言った。

「……糸は初めてだ」

「……はい」

堂道が神妙に頷く。

「糸は君が初めてなのに、君にとっては二人目の妻となる。それが不憫だ。糸はいつも一番が好きだった。女心としてはなおさらだろう」

「お父さん! そんなこと……」

「糸さん、いいから」

「だって! 違うもん。堂道次長は十分悩んで葛藤して……」

「糸さん」

堂道の強い視線に、糸は怯む。

「何も誇れるものはなく、この年の私が、若くて真っさらな糸さんを伴侶に頂くことに抵抗がないと言えば嘘になります。手の届かない存在だと、諦めようと思ったこともありました」

「それは、私が諦められなくてしつこく迫ったからで、仕方なく……」

「いえ」

堂道が低く言う。
 膝に置いた拳に力を込めたのがわかった。

「消費していくだけだった私の残りの人生で、糸さんに出会ってしまったとしか、申し上げられません」

Next 5.堂道、不合格!②に続く

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