15年。

9月11日という日が特別な意味を持つようになって15年。15年前、まだ社会人になりたてだった私はワシントンDCにいた。

あの日どうしていた、こうしていた、という話は思い出すときりがないからここには書かないが(といいつつ、当日の様子はほぼ日に投稿してここに載っています)、あの時、自分の中で今まで経験したことのない、説明できない納得がいかないモヤモヤが心の中に生まれ、今も時々大きさを変えて自分の腹の中をさまよっている。

ひとつはこういうことが起きた、という事象に対するモヤモヤ。もちろん、今までの国際情勢や色んな流れを紐解いて説明解説はできるだろうが、それとは別の次元で、目の前でこんなことが起きたことに対する、硬直したポカーンとした得体のしれない気持ち。

もうひとつは、非常に変な話だけれど、おそらく中途半端な自分の体験を消化しきれていないモヤモヤ。当時働いていたオフィスはDCの郊外にあったため、DCの中心部にいたのは私だけ。あわててオフィスに電話をして避難したが、あの時自分が感じた混乱・緊張感と、その後の自分の周囲ののんびりした、ある意味他人事的空気とのギャップ。

実際ワシントンDC市内そのものへの被害はなかったため(ペンタゴンはDCの外にある)、ニューヨークのように人々が団結して助け合い支え合い立ち上がるみたいな心あたたまるようなこともなく、あの時どうだった、どんな気持ちだった、という話を人々はすることもあまりないまま、夜になると哨戒機が飛び、マシンガンを持った軍人が警備に道に立つのが当たり前の日常が始まっていったのだった。

特に政治色の強い街だから、そんな不安や弱音やセンチメンタルなことをおおっぴらにするような空気じゃなかったのかもしれない。面白いほど誰も何も言わなかった。でも、皆やはり一人にはなりたくないようで、夜になるとレストランやバーは今まで以上に人でごった返していた。私も旦那も家にいたくなくて、夜随分出歩いた。911を境にテロ対策、国土安全保障関連の仕事が増えたこともあり、DCの景気は良くなっていた気がする。街もどんどんキレイになっていった。

でも得体のしれない不安で夜に眠れない、というのをあの時初めて体験した。これが芥川龍之介の言うぼんやりした不安というやつか!?と思った。自然災害とは又違う、自分ではコントロール不能な何か、ややこしすぎて複雑すぎて何が正しいかそうでないか、考えるのも口にだすのもグッタリしてしまうような何かが自分の日常に覆いかぶさり支配してくる、あの何ともいえない気持ち。

そしてあの日がそうだったように、毎年この日の空は不思議なほどカラッと美しく晴れる。ホラー映画であれば、夜だったり陰惨な天気の中で人が死んでいくが、それはそれは美しい日に起こる悲劇のほうが何倍も無力な気持ちになる、あれがイヤだ。

歴史の教科書で「戦前・戦後」の線引きがあるように、自分の心の中にも何か「911前・911後」という線引きがくっきりできた。

まあそんな気持ちも、ワシントンからカリフォルニアに引っ越したことで、毎年どんどん薄れていった。物理的な距離と心理的な距離というのは本当に面白いほど比例していて、同じアメリカとはいえ、これだけ離れているとやはり意識は変わってくるものなんだなあと興味深かった。

でも15周年だからか、今年は今まで以上に911の話題が多く、地元の消防署などでも、追悼チャリティイベントなどをやっていたらしい。そして日曜日の夜しかも寝る前に誰かがFacebookにあげていた記事をひとつ読んでしまった。

あの日、WTCからどんどん飛び降りていった人達のこと。建物と平行に、真っ逆さまに落ちていく男性の写真のこと。あの人は、学生時代溜まっていたレストランのスタッフだったそうだ。読んでしまったというより、読めなくなってしまって途中で辞めた。と同時に、ずっと忘れていたあのモヤモヤとした、ドンヨリした気持ちがむくむくと蘇ってきた。

自分の心の中に「産前・産後」とか「311前・311後」という新しい心の中の線引きも出来てきて、ここ数年は全く911のことなぞスルーしていたし、なんかあの日のことを無理に語るのも何だかな、と思ったのだが、なんだか吐き出したくなったので書きました。もう書かないかな。

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