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終わりが見えて初めて大事にできる

保育園が決まれば、育休が終わる。
いずれは終わると分かっているけれど、明確にあと1ヶ月後かもと意識すると、毎日のルーティンが全て愛おしく思える。

自分のペースでこなす家事も、子供と過ごす時間も。

よく動けるようになった子供は、本当に目が離せなくて、1人で面倒を見て、飽きさせないよう連れ出すことにちょっとプレッシャーを感じ初めていた。

誰か手伝ってと言いたくたる場面が増えきた中での、職場復帰。
タイミングがいいとも言えるのだけど、いざ復帰となると、もっと自分でお世話したい!とも思うのだ。
面倒な人間だなぁ。

毎日のルーティン、変わらない生活もいつか終わりがくる。

旦那と2人で眠りについていた夜も、夜中に何度もミルクで起きていた時期もいつの間にか終わった。
子供と一緒に寝る日もいずれ終わってしまう。

先日、旦那の実家の遺品整理をした。
物の少ない家だと思っていたけれど、最大6人で住んでいた家にはそれなりの思い出の品や、服や食器があった。

まだ使える物ばかりだったが、どこの家も足りているということでほとんどを廃棄することになった。

私は次々とお皿をゴミ袋に入れた。
買った頃にはこんな結末を迎えると思ってなかっただろうな、と思った。
家族の明るい生活を思って買ったお皿を、当たり前のように毎日使っていた日々があったのだろう。

十数年前に当たり前にその家にあった景色が跡形もなくなっていて、当時関係のなかった人が全てを無に帰している。
寂しい気がするけれど、世の常なのかもしれない。

この生活もいつかは終わる。
けれど、すぐじゃない。

この不確定な期限に甘えて、終わりから目を背けるから、目の前の大切な物を当たり前だと誤解してしまう。

1ヶ月後、この生活が終わるかもとクリアに見えた世界を忘れないでいたい。

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