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またね、という言葉

じゃあ、また、
日本か、世界のどこかで!

私が海外に住んでいる時、遊びに来た友達や他の都市に住む友達の元へ遊びに行った際、別れ際によく言う言葉です。
一体いつから言い出したのか定かではないけれど、大切な人との別れが名残惜しい時にとっさに口にした言葉だったかと思います。英語でも言ってる気がする。 See you again in Japan or in Berln or somewhere in the world!って言って、さよならのハグ。

海外に住んでいることを鼻にかけているように聞こえるかもしれませんが、この一節にはいろんな、願いが込められていて、できるかぎりポジティブな気持ちで笑顔で言うようにしています。

海外に住んでいると、友達の誰かが遊びに来てくれたり、誰かの元へ遊びに行く、ということは本当に、心の底から嬉しい、愛おしい時間です。
異国の地で暮らすことは基本的にひとりで過ごすことが多く、どんなに仲の良い友達が居たとしても、貴重な体験をしていたとしても、さびしいという気持ちは常にあります。
それは秋の長い影法師のように、いつだって傍にあるものです。

気のおけない友人と日本語で話せる瞬間って本当に愛おしい時間。
だから誰かが遊びに来てくれる時は、頑張って時間をつくるし、宿を提供するし、住んでいる街のとっておきの場所を案内します。
「遊びに来てね」と言われて「うん」といったら、どんなに軽いやりとりでも約束は守るようにしています。
友達とただただ過ごせる時間の稀有さを知ったのは、留学をしてからでした。

でもそれは限りある時間で、いつだってさよならの瞬間はやってきます。
駅やバス停、空港で最後にあいさつするとき、いつもよぎるのが
「次は、いつ、どこで会えるんだろう?」
ということです。
日本に住んでいる友達だったら、私が一時帰国するときに会える可能性が高いでしょう。
でもお互いによその国に住んでいたら、なかなかタイミングが合わないということもあります。
日本に私が帰国したと思ったら、相手が海外に住むことになることもあります。

いつもちょっぴり泣きそうになりながら、「どうか、また会えますように」という気持ちを込めながら、
「でもきっとお互いに会いたいって思えば、どこだって会える」と自分を奮い立たせながらその言葉を口にします。
「世界のどこかで」というのは、なんとなくいつも自分の視野を広げてくれるような気がするし、
「自分の国でも、相手の国でなくても、どこでもいいから会えたら素敵だね」のような希望のニュアンスです。

面白いことに、こうやって言葉を交わした人とはどんなに時間がかかっても、再会できている気がするし、
また会うまで、頑張ろうっていう気持ちが自分を満たして、その後の自国での友達ロスタイムを乗り越えます。
(一度友達が帰ってしまって急に寂しくなったのと寒波がきたのが重なり、しばらく高熱で寝込んだことがあります)

逆に日本に住んでるときは、いつでも誰とでもまた会えると無条件に信じているし、お互いに忙しくて疎遠になってしまう…なんてことも多くあるのも不思議。

目の前のことに全力投球しすぎて埋没しがちな私は、滅多に会えないけど、会える時間を心から大切にできて、それまで自分のことを頑張るという関係性に、いつも支えてもらっている気がします。

はい、今日も1日、がんばりましょう。


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