20220626日記 小さい頃の水泳の話。

今日は小学校の頃の話をしようと思う。

私は小学生の頃、水泳を習っていた。
週一で通い、小学校の高学年になるくらいには四種目(平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、クロール)は泳げるようになっていた。
タイムも周りの子たちと比べるとまあまあ良い方かなといったところだった。

そんな私は、人一倍臆病であった。

初めてプールというところに行ったのは幼稚園の頃だったと思うけれど、まず最初に水に顔をつけましょうというところで躓いた。
恐怖心が強く、プールの中に入っても、顔を水につけることがなかなかできなかった。
最終的には目の前で他の子供たちがプールの中に潜ってはしゃいでいるのを見て覚悟を決めたのだったと思う。
一瞬だけ顔をつけると、それまでなぜできなかったのか?というほどまでにそれ以後は簡単にできるようになった。

その後も初めてのことに出会う度に躓いていた。
その度に周りの子たちを見て、不安と共に乗り越えた。

そして、泳ぎ方を身に付けてきた小学3年生くらいのとき、飛び込みスタートに泣いた。

私の通っていたスイミングスクールでは、ある一定の級からテストの際に飛び込みスタートが必須になっていた。
(テストは50mのタイムを競う形だったのだけど、そのスタートの際にプールサイドの飛び込み台から飛び込みが必須だった)
しかし、それができなかった。怖かったのだ。

私は生来の頑固さも相俟って、最初の練習の月は受け入れることができなかった。
何を言われても、飛び込み台の前に行くと足が竦んで、台の上に乗ってもそこから進むことができなかった。

結局最初の月のテストは飛び込みなしで受けることになった。(私の通っていたところでは月一で進級テストがありました。当然、飛び込みなしなので進級はできません)

そのとき、(当然ではあるのですが)他の同じ級の子たちは皆飛び込みスタートでテストを受けていて、自分一人だけが取り残されているように感じた。
それを選択したのは自分なのに、その事実が酷く自分の中で悲しかったことを覚えている。

どうしても自分だけできないというのが悔しくて(事実なのですが)、翌月、決死の覚悟で飛び込みに挑んだ。

一度できてしまうとなんてことはない。
何度か試すうちにコツも掴んで、最初に感じていた恐怖は無くなっていた。


不思議なことに、一度できてしまうと、その後は簡単にできてしまうのに、最初の一歩がどうしても怖いと感じる。
その性質は今も変わっていなくて、初めてのことに挑むとき、いつも心の中は不安と緊張、そして恐怖心でいっぱいである。
自分の視野を広げるためにも、新しいことに挑戦するのは大事だと頭の中では分かっている。けれども、その気持ちがいつも邪魔をする。

自分にはそういった性質があるというのはもはや受け入れるしかないと思っている。
けれど、例えば一人ではなかなかできないことでも、友達とであればできることもあったりする。
そういった機会があったときに、逃げないようにしたいなと思う。


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